日本で最初の船舶無線通信
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/11 17:09 UTC 版)
「米村嘉一郎」の記事における「日本で最初の船舶無線通信」の解説
嘉一郎が電信局長に就任した天洋丸は、開設同日に横浜から香港に向けて出港したが、この航海中に天洋丸と銚子無線局の間の交信はできなかった。房総半島が障害となり電波が通じなかったためである。銚子無線局と海上にある船舶との通信は、1908年(明治41年)5月27日、嘉一郎が無線局長として新たに乗船した日本郵船の丹後丸が、シアトルに向けて横浜を出港後に初めて実現した。 誰も経験のない状況の中で、東京湾と銚子というわずかな距離でさえも房総半島の山が邪魔して通信できないこと、昼と夜では通信距離が全然違うこと、空電といって電磁波の影響で雑音がいろいろ入って通信ができないことなど、一つ一つ経験してやっと理解していく状況であった。しかしアメリカに着く時にはこの経験を生かしシアトルに着く前日からアメリカの交信局と連絡を取り、船から発信した電報や船客から依頼された電報を送信することができた。当時日本からアメリカへの移民が盛んで「写真結婚」と言って毎航多数の花嫁が船客を占め、この人達から船の着時を知らせて出迎えを頼む電文の代筆をしたという。
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