施設・遺構
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/10 05:09 UTC 版)
遺構の場所については、本記事上部にある犬鳴谷村の地図を参照。 犬鳴御別館(宮若市大字犬鳴字金山)- 1865年(慶応元年)に福岡藩によって建設された、福岡藩の最後の城である。2021年時点では城跡と石碑が残っており、犬鳴ダムの北側に位置する。 犬鳴小学校(宮若市大字犬鳴字下谷)- 1885年(明治18年)に犬鳴谷村の民家を借用して創立した。1920年(大正9年)に吉川尋常小学校と合併し、犬鳴分教所として置く。1966年に吉川小学校と合併して廃校となった。現在は犬鳴ダムの西側一方通行道路に犬鳴分校跡として残っている。吉川小学校も2016年をもって廃校となった。 商店(宮若市大字犬鳴字下谷)- 大正初年ごろに犬鳴住民の水上さんが店を開き、1930年(昭和5年)に廃業。その後、三浦さんが店を開業した。日用雑貨、食料品、酒、タバコ、菓子、魚の干物などが販売されていた。犬鳴集落唯一の商店であり、地元住民に重宝されていた。 犬鳴日原鉄山および多々羅鉄山跡(宮若市大字犬鳴字金山および大字犬鳴字多々羅)- 1854年(安政元年) 福岡藩により建設。金山は「きんざん」ではなく「かなやま」と読む。 犬鳴高麗人参畑跡(宮若市大字犬鳴字人参谷・大字犬鳴字多々羅・大字犬鳴字梅木谷)- 1748年(寛延元年) 幕府より福岡藩へ高麗人参の種を下賜。犬鳴の人参谷・多々羅谷・梅木谷にて栽培。JR博多駅あたりにかつて人参町といわれる町名があったが、ここは人参会所があったところで、人参会所は福岡藩営で犬鳴谷産高麗人参(朝鮮人参)の入札場だった。 犬鳴勘定役所跡(宮若市大字犬鳴字勘場)- 犬鳴の藩有林管理および犬鳴足軽の人事管理のため福岡藩により設けられていた役所跡。犬鳴勘定役所跡は現在の親水公園一帯である。 日原神社 および西山四国八十八箇所札所(宮若市大字犬鳴字下谷)- かつて犬鳴分校近くにあった神社とお堂である。日原神社の境内に「山の神」・「天満宮」・「ふくっつぁま」の3つの神社が祀られていた。西山四国八十八箇所札所の本尊は釈迦如来像で弘法大師像なども祀られていた。札所のお堂は日原神社の鳥居付近に建立されていた。 犬鳴足軽墓群 - 犬鳴山中の各所にあったが、現在は篠崎家および藤嶌(藤嶋)家の墓のみが残っている。 寶部安則の炭焼き窯跡 (宮若市大字犬鳴字下谷)- 犬鳴の木炭製造場であり、現在も窯跡が残っている。 ・犬鳴に福岡藩が江戸時代後期、天保銭などの銭貨密造のために開坑したと言われる銅山跡がある。現在も巨大な坑口がそのまま残っている。
※この「施設・遺構」の解説は、「犬鳴」の解説の一部です。
「施設・遺構」を含む「犬鳴」の記事については、「犬鳴」の概要を参照ください。
- 施設遺構のページへのリンク