新型車両の開発と挫折
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 15:23 UTC 版)
「イギリス国鉄」の記事における「新型車両の開発と挫折」の解説
1970年以降、イギリス国鉄の車両において急速な技術革新がみられることとなった。 通勤電車としては、1972年にこれまで主流だったスラムドアに代わる片側3つの両開き扉、電気指令式ブレーキ、アルミニウム合金製車体など、意欲的な設計を盛り込んだ試作車両445形(4-PEP)・446形(2-PEP)(英語版)が開発された。この車両をベースに扉の数を片側2つとした量産車は、グレート・ノーザン・ルート向けの313形、マージーレール向けの507形、グラスゴー近郊向けの314形、暫定的なSR近郊区間向けの508形、グレート・イースタン本線向けの315形の5形式にわたって投入された。ただし、1981年以降はマーク3客車をベースとした新型車両が導入されるようになり、普通鋼製車体に戻っている。 時期を同じくして、日本で新幹線が開通したことで高速特急型車両の開発が各国でブームになっていた中、イギリス国鉄でも線形が悪く速度向上が困難であったウェスト・コースト本線の高速化のためAPT計画が立ち上げられ、1972年にまずガスタービン式のAPT-E、続いて交流振り子式電車のAPT-Pが1976年に製造された。前者は前後の動力車が客車を挟む標準的な動力集中方式であったのに対し、後者は14両編成の中間2両に動力車を配置し、前後6両の連接客車が挟む類例を見ない編成構成で世界初の強制振り子式電車ともなった。しかし、APT-Pは実際の試験でブレーキや車体傾斜システム等の技術的な問題が多発し、挙句車体傾斜システムの重大なトラブルが引き金となって脱線事故を引き起こす事態を招いたため量産化されないまま1986年に計画は打ち切りとなった。 全線電化が行われたウェスト・コースト本線に対し、非電化のまま存置されたイースト・コースト本線とグレート・ウェスタン本線の長距離列車には気動車のHSTが導入されることとなった。1972年に試作車1本、そのあとを受けて1976年から82年の間に量産車が製造されたが、こちらは信頼性が高く、民営化後も長年主力として活躍した。
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