文字の創成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 16:24 UTC 版)
人類はまず身振り・手真似による思想感情の伝達から始め、その後、言語を作ったと想像される。次にその言葉を記録する必要が生じ、そのための符号、つまり文字のようなもの(書契)が生まれた。『易経』の繋辞伝(けいじでん)下に、「大昔は縄を結んでうまく調整した。後世の聖人はこれに変えて書契を使った。」 とあるように、最初は縄の結び方で記録する結縄といわれるものが使われ、つづいて絵画的な方法を用いた。しかし、これはまだ文字ではない。文字は古代の文化圏のうちでも最も高い文化段階に達したところだけで成立し、それは言葉を視覚化し形象化したもの、すなわち象形文字であった。 それから永い間に幾多の淘汰を経て、世界有史以来、発生した文字の種類は200余種にわたっており、現在でもその50余種が使用されているという。ただし、その多数の文字の根源をなすものは、ナイル河畔に発達したエジプト文字、チグリス川とユーフラテス川の辺りに発生した楔形文字、黄河流域に生まれた漢字の3種である。 しかし、エジプト文字と楔形文字は紀元前後に相次いで姿を消した。漢字以外の古代文字が滅んでいった原因は、その歴史と文化の断絶によるものである。民族の興亡がはげしくなると、文字は他の民族によって借用されることになるが、このとき異なる言葉の体系に適応させるために言葉と文字との直接的な結合を分離することが必要であった。そして文字は形象という本来的な意味を離れて表音化された。これがアルファベット化である。 エジプト文字が容易にアルファベットにその地位を譲りえたのは、その言語表記の上に、表音化による致命的な困難を伴うことがなかったからであろう。そして、文字がアルファベット化したとき、言葉と文字との結合という古代文字のもつ最も本質的なものは失われた。しかし、漢字は中国の言葉の性質からみて、このアルファベット化に非常な困難を伴う。漢字は単音節語を用いる中国人にとって最も適合した表記法であり、今もその特質を持ち続け、言葉とともに生き続けている。
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