文字の創作と施行初期とは? わかりやすく解説

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文字の創作と施行初期

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/06 10:24 UTC 版)

則天文字」の記事における「文字の創作と施行初期」の解説

『新唐書』あるいは『資治通鑑』などの史書によると、則天文字武則天考えたものではなく、甥の宗秦客に命じて作らせたもののようである。 当初公表されたのは12文字であり、「照」「天」「地」「日」「月」「星」「君」「臣」「載」「初」「年」「正」がそれぞれ「」「」「」「」「」「」「」「」「」「」「」「」改められた。このうち「」「」の2文字組み合わされ年号載初」として使われた。制定当時武則天は「改元載初赦文」で以下のように述べている。 (原文) 「……朕又聞之、人必有名者、所以吐情自紀、尊事天人。……朕今懷(懐)柔百神、對(対)揚上帝。三靈(霊)眷祐、萬國(万国)來(来)庭。宜膺正名之典、式敷行政之方。朕宜以曌爲(為)名。……思返上皇之化、佇移季之風、但習俗多時、良難頓改。特創製十二字、率先百辟。上有依于古體(体)、下有改於新文、庶保可久之基、方表還淳之意。……」 (大意) 「……朕はまたこのように聞いている。人に必ず名があるのは、思い述べて自らのことを記し、(それによって)尊敬の念をもって天と人とに仕えるからであると。……今、朕は神々祀り安んじ天帝の命に答えその心を民に広く知らしめた。天地人の三霊が朕を慈しんで恵み垂れ万国使者来朝してきている。(今こそ正しき名分決まりに応じて、政の道義あまねく広めるのにふさわしい。(よって)朕は曌と名乗ることにする。……古の帝王徳化に返ることを思い末世風習改めよう望んではいるが、習俗は非常に長い時が経ってしまっているので、すぐに改めることは非常に難しい。(そこで)独自に文字12字を作り諸侯百官模範を示すことにする。(これは)古代字体によりつつも、新たな文字改めることで、長く続くべき基礎保持することを願い、古の醇朴精神に戻ることを表明することにほかならない。……」 これ以後武則天武曌改名し、「曌」の字は避諱とし、他人使用するのを禁じ以前の「照」の文字使用禁止された。当時退位させられていた中宗長男武則天の孫)である重照は、名を李重潤改めさせられた。載初元年正月8日西暦689年12月25日)、則天文字正式に公布された。 なお『旧唐書』経籍志には「『字海』一百大聖天后撰」、『新唐書』芸文志には「武后『字海』一百巻」の記述がある。

※この「文字の創作と施行初期」の解説は、「則天文字」の解説の一部です。
「文字の創作と施行初期」を含む「則天文字」の記事については、「則天文字」の概要を参照ください。

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