文人・詩人としてとは? わかりやすく解説

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文人・詩人として

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 07:37 UTC 版)

曹操」の記事における「文人・詩人として」の解説

曹操は「槊を横たえて詩を賦す」と後世言われたように政治・軍事多忙な中、多く文人たちを配下集めて文学奨励する同時に自身すぐれた詩人であった。彼は建安文学担い手一人であり、子の曹丕曹植合わせて三曹」と称される曹操軍隊率いること30数年間、昼は軍略考え、夜は経書勉強励み高所に登れば詩を作り、詩ができると管弦にのせ音楽歌詞にしたという。その記述通り現存する曹操の詩は、いずれも楽府という音楽伴奏伴った歌詞であり、代表的な作品として『文選27楽府楽府二首に収録された下に記す「短歌行」が有名である。 對酒當歌 人幾何 譬如朝露 去日苦多 慨當以慷 憂思難忘 何以解憂 唯有康(後略) — 『昭明文選27樂府樂府二首 短歌行 曹操の詩に関する後世の評価には、南朝梁の鍾嶸『詩品下巻 魏武帝魏明帝の「曹公古直、甚有悲涼之句」(古直にして、甚だ悲涼の句)、明の周履靖の「自然沈雄」、陸時雍の「其言如摧鋒之斧」(その言、鋒を摧(くだ)く斧の如し)、清の沈徳潜の「沈雄俊爽、時露覇気」などがある。また、沈徳潜曹操の詩には漢の空気残り曹丕以後は魏の作品であると記している。「月明星稀、烏南飛」の句は宋の蘇軾赤壁賦にも引かれまた苦寒行は唐の杜甫石龕詩に利用されている。中国文学研究者松本幸男は、曹操従軍文学と言うべき作が多いと指摘している。現存する彼の詩作品多くはないが、そこには民衆兵士困苦憐れむ気持ちや、乱世平定への気概感じられる表現自体簡潔なものが多いが、スケール大きく大望望んだ文体特徴である。 改革開放の父の鄧小平は、三度目復活果たした1977年7月、「志在千里壮心不已」という心境もらした老いてなお進取意気込み示した言葉は、曹操の「歩出夏門行」亀雖寿(208年頃の作品)という楽府からの引用である。 渡邉義浩この中国史初めての文学活動について、魏王朝を打ち立てる為の政治的な意図含まれているとし、そしてこの一連の活動によって漢王室を滅ぼす基盤出来たとする。

※この「文人・詩人として」の解説は、「曹操」の解説の一部です。
「文人・詩人として」を含む「曹操」の記事については、「曹操」の概要を参照ください。

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