文人・学者として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/02 16:03 UTC 版)
「ダーラー・シコー」の記事における「文人・学者として」の解説
ダーラー・シコーは優れた教養を身に付けた人物であり、祖父アクバルのリベラリズムを継いだ優れた文人・学者であった。 ダーラー・シコーの文化面における最も偉大な業績は、ウパニシャッドをサンスクリット語からペルシア語に訳させ、『ウプネカット』を編纂したことである。 6冊あるダーラー・シコーの著書では、ヒンドゥー教とイスラーム教がその本質においては同じである、と説いている。この点を見れば、彼の思想はカビールやシク教の教主グル・ナーナクに通じるものがあったと考えていいだろう。 また、彼はヒンドゥー教の神秘主義者やイエズス会士などとよく議論したため、当時の人々は彼をイスラーム教徒ではない、とまで言う人物もいた。だが、それはダーラー・シコーの偏りのない考え方によるもので、先述した曾祖父アクバルの宗教的融和を受け継いだものであった。 とはいえ、ダーラー・シコーは社会においてイスラーム復興運動が高まっていたこと、そしてイスラームに傾倒していたアウラングゼーブとの思想における激しい対立に直面しなければならなかった。イスラーム神秘主義者シャイフ・アフマド・シルヒンディーの思想に共感していたアウラングゼーブは彼を「カーフィル(偶像崇拝者、背教者)」と呼び、イスラーム教を帝国から排斥するのではないか、という危機感を募らせていたのだという。
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