教理史とは? わかりやすく解説

教義史

(教理史 から転送)

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教義史(きょうぎし、ドイツ語:Dogmengeschichte)とは、キリスト教の教義教理の批判的研究である。教理史とも訳されている。[1]


  1. ^ ルイス・ベルコフ「キリスト教教理史」日本基督教団出版局1989年
  2. ^ a b c d e アリスター・マクグラス『キリスト教神学入門』教文館


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教理史

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原罪」の記事における「教理史」の解説

初代教会には原罪教理について様々な見解があった。 2世紀エイレナイオスは、全ての人類の頭であるアダムにおいてすべての人類文字通り罪を犯したとした。テルトゥリアヌス初めて、アダムとイヴから人類全て受け継ぐものとして原罪理解した他方アレクサンドリアのクレメンスは、原罪全ての人間罪を犯すという事実を表す象徴であると主張し原罪現行罪不可避性を表現するものと理解した場合によっては、クレメンス原罪説を否定していると解されることもある)。 受け継がれるものとしての原罪について詳細に説明し、「アダムから遺伝された罪」とし、両親性交遺伝機会として解釈したのは、アウグスティヌスである。カトリック教会西方教会)は、オランジュ公会議529年、Councils of Orange)において、原罪にかかるアウグスティヌス教え承認したアウグスティヌスアダムとイブ恥じ陰部隠したのは性行為行ったからであると解釈し、それを原罪とした。[要出典] 宗教改革以降アウグスティヌス教え、およびオランジュ公会議カノン[要曖昧さ回避]などの影響を受け、改革派教会原罪にかかる教理として全的堕落説展開した。これに対しカトリック教会トリエント公会議1546年 - 1547年)において予定説とともに全的堕落説否定することを確認しアウグスティヌス教えについて誤解している(とカトリック教会考えたプロテスタント教え否定し原罪にかかる教理確認した一方正教会上述のように公会議教義論争通じて原罪概念定式化努めた西方教会異なり、同概念につき、公会議による定理化(教義化)を避けてきており、その理解には様々な見解余地がある多様性がある。ニッサの聖グリゴリイニュッサのグレゴリオス)をはじめとしたギリシャ聖師父引証しつつ、アダムとイヴ堕落結果肉体のみならず道徳的な面にも及ぶと理解されるが、アウグスティヌスのような弱さ同時に罪責を(受け継いだ)」とするような「法律的な理解避けられる

※この「教理史」の解説は、「原罪」の解説の一部です。
「教理史」を含む「原罪」の記事については、「原罪」の概要を参照ください。

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