攻撃理由とその後の影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/16 17:21 UTC 版)
「桂林号事件」の記事における「攻撃理由とその後の影響」の解説
日本軍機が桂林号を撃墜した理由は中華民国初代臨時大総統孫文の一人息子孫科を暗殺しようとしたものではないか、との見方がある。しかし、実際には孫科は桂林号に搭乗しておらず、同じ日に別の航空会社(ユーラシア航空(英語版、中国語版), Eurasia/歐亞航空)の便に搭乗していた。孫科は、これを秘書が誤って別の便名を公表してしまったと釈明しているが、これは自身の身の安全のため、意図的に別の便名を公表して結果的に桂林号を犠牲にしたものではないかとも憶測された。桂林号がなぜ撃墜されたかついて、日本政府は公式には何も認めていないが、一方でこれ以降戦争空域を飛行する民間機の安全は保障しないと述べている。日本の外交当局は、挙動不審な航空機は撃墜するのではなく追尾するようにとの声明をだしている。当時の日本語新聞「香港日報 (The Hong Kong Nippo)」は、孫科は攻撃対象であったと認めたが「我らが荒鷲は(孫科を)生け捕りにするつもりである」とも報じている。 この事件で、交通銀行総行董事長であった胡筆江(胡筠、Hu Yun)や、浙江興業銀行総経理の徐新六(中国語版)(Singloh Hsu)、中華民国中央銀行幹部の王宇楣(Wang Yumei)ら3名の著名な中国人銀行家が死亡した。中国銀行界にとっては多大な損失であった。 桂林号事件は、史上初めて民間航空機が敵対国の軍用機に撃墜された事件であったことから広く報道された。「桂林号の悲劇("Kweilin Tragedy")」と題されたニュース映画が話題となり香港では何週間にもわたって上映された。このニュース映画ではウッズ機長のインタビューと「バラバラになった機体、散り散りになった郵便袋、無数の弾丸を浴びた遺体」が映し出された。事件の後、中国航空公司や他の航空会社は、当時ドイツで開発された無線電波により目的地までパイロットを誘導する、現在の計器着陸装置にあたる「ローレンツ・ビーム(英語版) Lorenz beam」を導入して中国上空での夜間飛行を行うようになった。。事件に対して、国際的にも怒りの声があがった。アメリカでは、本事件が後押しとなって日中戦争で道徳的に誤っているのは日本の方だとする見方が固定化したが、中国側の嘆願をよそにアメリカが日本に対して行動を起こすまでには至らなかった。 9月6日には、ドイツと中国の合弁企業欧亜航空公司の旅客機が香港から雲南省へ向かう途中柳州市付近で日本軍機の攻撃を受けるという事件も発生している。同社は桂林号事件の後、漢口へ向かう便をすべて運休していた
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