戦車暴走
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/17 20:28 UTC 版)
「サンディエゴ戦車暴走事件」の記事における「戦車暴走」の解説
サンディエゴ警察によれば、戦車を暴走させる前週にネルソンは友人に自殺を考えていることを告げ、次の週末にはオクラホマシティ連邦政府ビル爆破事件に触れ、「オクラホマは見事なものだった」と話したという。ネルソンが破壊行為を容認していたのか、単にドラマのように楽しんだという意味であったのかは定かでない。警察は、ネルソンが爆破事件やテロリストグループに関係しているとは全く考えていなかった。 1995年5月17日水曜日の夕暮れ時、ネルソンはカーニーメサ(Kearny Mesa)の州兵兵器庫に向けてシボレーのバンを走らせた。車両通行区に通じるゲートは通常午後5時以降はロックされるが、兵器庫の従業員は遅くまで働いていて、ゲートが開いたままであった。車両通行区は完全に人通りが絶えていた。ネルソンは戦車のハッチをこじ開けるのにバールを使用したと思われる。彼が侵入した最初の戦車は動かず、2台目も動かなかった。ネルソンが3台目の戦車に身を沈めた時、近づいてきた州兵についに気付かれたが、ネルソンはなんとか戦車を発進させることができた。州兵がこれを制止することは不可能で、電話で警察を呼んだ。幸いなことに、弾薬は別の建物に保管されていたため、使用可能な火器は戦車には搭載されていない状態であった。 ネルソンは、サンディエゴ郊外のクレアモントの通りを23分間テレビ放送されながら警察に追跡された。戦車は、最高時速45マイル(約72km)であり、追跡はそれに合わせ減速気味に行われたが、それでも少なからず危険であった。57トンの重量があるM60戦車は、容易く停車中の車、消火栓、道路標識や信号を破壊して進み、停車中のバンを粉砕し、そのままバンもろとも真っ直ぐ前方のキャンピングカーに突っ込んでいった。彼は橋脚に戦車を激突させて橋を破壊しようとさえしたが、初めの数撃で失敗し断念した。その後、ネルソンが州道163号線のコンクリートの中央分離帯を強引に越えて対向車線に侵入しようとしたが、戦車は分離帯を壊して止まった。そして、4人の警官が戦車の上に登り、サンディエゴ警察のポール・パクストン巡査(当時、地元海兵隊・第4戦車大隊のアルファ中隊・予備役の一等軍曹だった)がハッチを開くことに成功し、ボルトカッターを使って砲塔に侵入した。警官は、ネルソンに投降するよう命じたが、彼は何も言わず、戦車を前後に揺らし始めた。パクストン巡査の同僚リチャード・ピナーは、ネルソンを射殺した。
※この「戦車暴走」の解説は、「サンディエゴ戦車暴走事件」の解説の一部です。
「戦車暴走」を含む「サンディエゴ戦車暴走事件」の記事については、「サンディエゴ戦車暴走事件」の概要を参照ください。
- 戦車暴走のページへのリンク