愛蔵本における本文の改訂とその後
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「谷崎潤一郎訳源氏物語」の記事における「愛蔵本における本文の改訂とその後」の解説
第2回の翻訳は、異なる本文のものが出版されている。愛蔵本、普及版など装幀や巻立をアレンジしたものがいくつか刊行されたことは他の訳と同じであるが、本文は初刊本以降の版は改訂された。初刊本の次に発刊されたのは、1955年(昭和30年)10月に中央公論社創立70周年記念出版として刊行された愛蔵本であり、それ以降の「新訳」は愛蔵本の本文がもとになっている。 初刊本と愛蔵本の間の改訂は、大部分が細かい表現の訂正であるが、筋立て・内容に関わる変更が2か所存在する。一つは「桐壺」巻の「ひまなき御前渡りに」の主語を帝とするのかそれとも桐壺更衣とするのかという違いであり、もう一つは「手習」巻における浮舟投身の際に現れた「もののけ」の正体についてである。この2か所は新訳の作業の時点でも、玉上と山田の間で意見が対立し、このときには玉上が山田に譲った形で決着していたものの、愛蔵本のための本文改訂を行うに当たって、玉上はどうしてもこの点について改めたいと考え、その旨を谷崎に申し出たところ、「山田先生の了解が得られるならば改めてもよい」との返答を得たため、玉上は自ら仙台の山田のもとに赴いて山田と面談し、内容の改訂についての了承を得て、玉上の見解に従って解釈を改めることとなったものである。 1959年(昭和34年)9月から1960年(昭和35年)5月にかけて、全8巻の「挿画入豪華新書版」が刊行された。これは1958年(昭和33年)1月から1959年(昭和34年)7月にかけて出版された「谷崎潤一郎全集」(全30巻)に判型・装幀・価格などをあわせて刊行されたものである。この版から、谷崎の意思によって「もう『新訳』でもないだろう」という理由で「新訳」という表記がなくなり、単に「潤一郎訳」と表記されるようになった。伊吹和子は、「谷崎はこの時点ではこの改訂版の新訳を決定版として、生涯にもう一度全訳を試みるつもりは無かったのであろう」としている。 しかしその後、1961年(昭和36年)10月から1962年(昭和37年)4月にかけて全5巻、別巻1巻で刊行された挿画入豪華愛蔵版では、その序文において「私の所謂「新訳」にも、十分の改訂を加えていない。ところ/\ふと目に触れた部分に手を加えた程度である。他日機会が有ったら、老躯にむち打って更にもう一度新々訳を試み対を思う」と述べ、再度の改訳への意欲を示している。
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