愛岐水力設立とダムの竣工
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「今渡ダム」の記事における「愛岐水力設立とダムの竣工」の解説
水利権の許可取得後の1935年7月20日、資本金500万円、大同電力・東邦電力の折半出資にて「愛岐水力株式会社」が設立された。初代社長には東邦電力社長の松永安左エ門が就任し、以降は1年ごとに大同側・東邦側交代で務めることとなった。また発電所の完成後は発生電力を2分割し両社同一条件にて受電すると定めた。本社は東京市麹町区丸ノ内1丁目6番地に置かれた。 着工準備ができた今渡発電所(今渡ダム)であったが、今度は舟運・流筏・玉石採取・漁業などの業者から生活を脅かすとして猛烈な反対運動が発生し、用水組合からも逆調整に疑念を抱くとして了解が得られなかった。岐阜県・愛知県当局の調停により1936年(昭和11年)6月着工に漕ぎ着ける。工事中の洪水被害や、日中戦争による人的・物的影響が工事の障害となるも、1938年(昭和13年)12月末をもって工事は終結した。土木工事請負業者は間組である。 今渡ダム工事中の1936年、大井ダムとの中間に笠置ダム(笠置発電所)が建設された。これに伴い大同電力は1937年4月、灌漑期間中は笠置ダムの水量調節を停止し、ダムに達する全水量を均等に放流することとしたため、以後用水組合に対する寄付(施設改良工事費の負担)を打ち切るという旨を通告した。この一件で大同電力に対する特に宮田用水組合の不信が強まり、今渡ダムが完成して仮貯水を始める段階になると、同組合は愛知県に対しダム操作規定に組合の主張が反映されなければダムの操業を拒否するよう要望している。今渡発電所の運転開始は1939年(昭和14年)3月であるが、『大同電力株式会社沿革史』によれば「下流用水問題」に関連して運転開始が若干遅延したという。
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