愛岐水力設立とダムの竣工とは? わかりやすく解説

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愛岐水力設立とダムの竣工

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 17:02 UTC 版)

今渡ダム」の記事における「愛岐水力設立とダムの竣工」の解説

水利権許可取得後1935年7月20日資本金500万円大同電力東邦電力折半出資にて「愛岐水力株式会社」が設立された。初代社長には東邦電力社長松永安左エ門就任し以降1年ごとに大同側・東邦交代務めることとなった。また発電所完成後は発生電力2分割両社同一条件にて受電すると定めた本社東京市麹町区丸ノ内1丁目6番地置かれた。 着工準備ができた今渡発電所今渡ダムであったが、今度舟運流筏玉石採取漁業などの業者から生活を脅かすとして猛烈な反対運動発生し用水組合からも逆調整疑念を抱くとして了解得られなかった。岐阜県愛知県当局調停により1936年昭和11年6月着工漕ぎ着ける工事中洪水被害や、日中戦争による人的物的影響工事障害となるも、1938年昭和13年12月をもって工事終結した土木工事請負業者間組である。 今渡ダム工事中1936年大井ダムとの中間笠置ダム笠置発電所)が建設された。これに伴い大同電力1937年4月灌漑間中笠置ダム水量調節停止しダム達す全水量を均等に放流することとしたため、以後用水組合対す寄付施設改良工事費負担)を打ち切るという旨を通告した。この一件大同電力対する特に宮田用水組合不信強まり今渡ダム完成して貯水始め段階になると、同組合愛知県対しダム操作規定組合主張反映されなければダム操業拒否するよう要望している。今渡発電所運転開始1939年昭和14年3月であるが、『大同電力株式会社沿革史によれば下流用水問題」に関連して運転開始若干遅延したという。

※この「愛岐水力設立とダムの竣工」の解説は、「今渡ダム」の解説の一部です。
「愛岐水力設立とダムの竣工」を含む「今渡ダム」の記事については、「今渡ダム」の概要を参照ください。

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