惑星探査機打ち上げ競争とは? わかりやすく解説

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惑星探査機打ち上げ競争

1960年ごろから人工衛星や有人飛行と同時に進められた惑星探査計画

アメリカ旧ソ連は、人工衛星月探査機続いて有人飛行打ち上げ計画していましたが、それと同時に進められたもう1つ計画は、惑星探査計画です。1960年ごろから両国は、金星火星探査機を送るために、さまざまな努力重ねました

1962年8月27日に打ち上げられたアメリカの金星探査丘マリナー2号」
1962年8月27日打ち上げられアメリカ金星探査マリナー2号

アメリカはバイキング1号、バイキング2号で火星探査に大きな成果

火星探査では、旧ソ連はあまり多く観測成果あげられませんでした。それに対してアメリカ1964年打ち上げた火星探査機失敗したものの、その後1975年までに7機の探査機打ち上げて写真撮影などに成功しました
なかでも1975年打ち上げたバイキング1号バイキング2号は、1年近い飛行のあと、火星表面軟着陸(なんちゃくりく)し、生物存在確かめるための実験おこないました。生物発見できませんでしたが、その観測成果はたいへん大きいものでした。

火星への軟着陸に成功した「バイキング1号」
火星への軟着陸成功したバイキング1号

1970年、旧ソ連のベネラ7号がはじめて金星への軟着陸に成功

金星は約1年7ヵ月ごとに地球近づくので、このときが探査機打ち上げるチャンスです。1961年2月旧ソ連が、そして1962年7月にはアメリカそれぞれ金星探査機を打ち上げましたが、いずれも失敗でした。その後米ソ多く金星探査機を打ち上げました。はじめて金星軟着陸成功したのは、1970年打ち上げた旧ソ連ベネラ7号です。ベネラ7号いろいろな観測データ送ってきましたが、それによると金星の表面470度でした。

80年代以降は国際協力による探査計画で数々の成果

水星木星土星天王星海王星などの探査は、アメリカパイオニア10号(1972年)、パイオニア11号(73年)、ボイジャー1号ボイジャー2号(1977年)を打ち上げて多く観測成果残しました。これらの探査機冥王星軌道(きどう)を越え、現在も宇宙飛んで探査続けてます。また、1984年から1985年にかけて5機のハレー彗星(すいせい)探査機が、旧ソ連欧州宇宙機関日本から打ち上げられましたが、この大きな国際協力探査計画数々成果あげました

海王星を観測したのち、太陽系を離脱したアメリカの「ボイジャー1号」
海王星観測したのち、太陽系離脱したアメリカの「ボイジャー1号

日本が打ち上げた彗星探査「すいせい」
日本打ち上げた彗星探査すいせい




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