日本の宇宙開発史
ペンシルロケット水平発射実験の成功にはじまる日本の宇宙開発
戦後の日本の宇宙開発は、1955年に東京・国分寺で実施された東京大学のペンシルロケット水平発射実験の成功から出発しました。その後、秋田県道川海岸を発射場としてベビー型、カッパ型などのロケットが打ち上げられ、発射場が鹿児島県内之浦に移ってからは、さまざまな実験をくり返したのち、1970年に日本初の人工衛星「おおすみ」が軌道(きどう)にのりました。日本は、衛星を自力で打ち上げた世界で4番目の国になり、日本の宇宙科学は以後急速に発展します。
宇宙開発事業団設立で科学・実用両面にわたる宇宙開発体制がスタート
1969年に設立された宇宙開発事業団(現 宇宙航空研究開発機構(JAXA))は、人々の実生活に役立つ宇宙開発をめざす組織です。その前年には宇宙開発委員会が設置され、科学・実用の両面において日本の宇宙計画が推進される体制ができあがりました。宇宙開発事業団は、気象・通信・放送などの実用目的の衛星を開発するとともに、ロケット開発においては、それまで門外不出だったアメリカの技術導入が可能になり、その生産技術のレベルは飛躍的にアップしていきました。
H-IIAロケット開発などで国際水準の技術を確立した日本
技術導入によるレベルの引き上げと国産技術の経験の蓄積によって、日本のロケット開発は順調に進み、1994年にはついに100%国産技術によるH-IIロケットが完成し、種子島宇宙センターからの打ち上げに成功しました。このH-IIロケットは、現在世界の商業ベースの衛星の60%を占めるアリアンIV型ロケット(欧州宇宙機構が開発)とほぼ同じ打ち上げ能力をもっており、日本はようやく国際水準の技術を確立することができたといえます。また2001年には、H-IIロケットの性能を向上させたH-IIAロケット試験機1号機の打ち上げに成功しました。
H-IIAロケット試験機1号機の打ち上げ(種子島宇宙センター)
宇宙航空研究開発機構設立で宇宙航空開発の新たなページが開かれる
2003年10月1日、宇宙科学研究所(ISAS)、航空宇宙技術研究所(NAL)、宇宙開発事業団(NASDA)が統合し、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が誕生しました。この統合により、基礎研究から開発・利用に至るまで、ひとつの組織で一貫して行える体制が整えられることになりました。国際的に見ても、欧米に比肩する機関が誕生することになり、日本の宇宙航空開発の歴史に新たなページが開かれることになります。
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