旧ソ連の有人宇宙飛行
「地球は青かった」のことばを残した人類初の宇宙飛行士ガガーリン
1961年4月12日、人類初の有人宇宙船が打ち上げられました。旧ソ連のボストーク1号に乗って、ユーリ・ガガーリン飛行士は、人類ではじめて大気圏を飛び出したのです。300kmの高さから地球をながめて、「地球は青く、……この世のものとは思われないほどの美しさだった」という言葉を残しました。打上げから1時間49分後にガガーリンは地球にもどってきました。しかし、当時の旧ソ連の技術では着陸がむずかしかったので、ガガーリンは高度7,000mで宇宙船を脱出し、パラシュートを使用しての帰還でした。
初期の宇宙開発競争は、つねに旧ソ連が一歩リード
1964年10月12日、旧ソ連は3人乗り宇宙船「ボスホート1号」の打ち上げに成功しました。翌年の3月にはアメリカが2人乗りのジェミニ3号の打ち上げに成功し、旧ソ連とアメリカの宇宙開発競争は激しくなっていきます。旧ソ連のボストーク・ボスホート宇宙船は当時のアメリカの宇宙船よりも技術的に進んでおり、つねにアメリカをリードしていました。しかし、アメリカのアポロ計画が進むにつれて旧ソ連は追いつかれていきます。
ボスホート2号のレオーノフが、人類初の宇宙遊泳に成功
1965年3月18日、ボスホート2号に搭乗したアレクセイ・レオーノフは、人類ではじめて宇宙遊泳に成功しました。この宇宙遊泳で人類が宇宙空間でも活動できることを証明し、宇宙服の実用性が実証されました。
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