彗星の再来を予測したエドモンド・ハレー
17世紀になっても謎だった彗星の正体
彗星は、古代より人類にとって不可思議な存在でした。惑星や星座と異なり、突如としてあらわれ、いつしか消えていく予期せぬ天体で、地域によっては幸福を招く星であったり、災いを呼ぶ不吉な前兆であったりしました。しかしその正体は、17世紀になっても謎のままでした。
彗星が惑星と同じように、太陽のまわりを公転していることを発見したのは、イギリスの天文学者エドモンド・ハレー(1656~1742)でした。そのきっかけは、1862年に出現した巨大な彗星で、彼が26歳のときでした。後にハレー彗星とよばれるものですが、彼は彗星の出現に非常に驚くと同時に深い関心を寄せて、その動きを克明に記録していきます。
ちょうどそのころ、ハレーより14歳年上で彼と親交のあったニュートンが、万有引力について研究していました。ニュートンは、もし彗星が回帰してくるのなら長楕円軌道をとり、回帰してこなければ放物線軌道をとるということを示唆しました。
そこでハレーは、自分が観測した彗星の軌道を克明に計算します。さらに当時記録が保管されていた24の彗星について調べてみると、1531年と1607年に出現した彗星の軌道が、自分が観測した彗星とよく似ていることをつきとめ、この彗星が1758年暮れから1759年始めにかけて再びあらわれることを予測したのです。
予測どおり彗星が出現し「ハレー彗星」と命名される
1758年のクリスマスの晩に、ドイツのアマチュア天文家が小さな彗星を発見しました。これこそがエドモンド・ハレーが予言した彗星そのものでした。残念なことに、エドモンド・ハレーは1742年に亡くなっていて、その事実を確認できませんでしたが、人々は彼の功績をたたえて「ハレー彗星」と名づけることにしました。
ハレー彗星は、惑星とはまったくちがった天体ですが、同じ太陽系の仲間であり、決まった周期で公転する天体であることが初めて確認されました。彗星は、人類にとって長い間、謎の天体でしたが、今日では太陽系の誕生の解明をにぎるきわめて重要な存在であると考えられています。その意味でもエドモンド・ハレーの発見は、今日の天文学にとっても非常に大きな功績ということができます。
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