悔悛するマグダラのマリア (エル・グレコ、シッチェス)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/28 13:07 UTC 版)
スペイン語: Magdalena penitente 英語: Penitent Magdalene |
|
![]() |
|
作者 | エル・グレコ |
---|---|
製作年 | 1585-1590年ごろ |
種類 | キャンバス上に油彩 |
寸法 | 106 cm × 95 cm (42 in × 37 in) |
所蔵 | カウ・フェラー美術館、シッチェス |
『悔悛するマグダラのマリア』(かいしゅんするマグダラのマリア、西: Magdalena penitente、英: Penitent Magdalene)は、ギリシア・クレタ島出身のマニエリスム期のスペインの巨匠エル・グレコが1585-1590年ごろに制作したキャンバス上の油彩画である。1894年にパリで競売に出された際に、スペインの画家サンティアゴ・ルシニョールにより購入され、同年11月に彼の家に到着した[1]。現在、バルセロナ近郊のシッチェスにあるカウ・フェラー美術館に所蔵されている[1][2]。
主題
「洗礼」こそ真の「悔悛」の秘蹟であるとして「悔悛」の意義を否定したプロテスタントに対して、対抗宗教改革期にカトリック側はこの「悔悛」の主題を称揚した。そして、この主題に最もふさわしい聖人として取り上げられたのが聖ペテロとマグダラのマリアである[3]。娼婦であったマグダラのマリアは、人間の普遍的な罪を一身に担う存在と考えられた。彼女は、イエス・キリストがシモンの家に食事に招かれた際、「香油が入れてある石膏の壺を持ってきて、泣きながら、イエスのうしろでその足もとに寄り、まず涙でイエスの足をぬらし、自分の髪の毛でぬぐい、そして、その足に接吻して、香油を塗った」(「ルカによる福音書」:第7章37-38)。彼女は熱烈な愛情と不変の忠誠をキリストに捧げたのみならず、キリストの磔刑と埋葬に立ち会い、最初にキリストの復活を発見した人物でもある。マグダラのマリアのアトリビュート (人物を特定する事物) は「香油の壺」であるが、そのほかにもロザリオ、髑髏、聖典が彼女を特定するのに用いられることがある[3]。
歴史的背景

マグダラのマリアは、中世以降、無数の美術作品の主題に採用されてきた[3]。中世後期においては、もっぱら「キリストの磔刑」図でキリストの足元に悲嘆する姿で描かれたが、中世末からルネサンスにいたって主題のレパートリーも増え、「十字架降下」、「キリストの埋葬」、「キリストの復活」、「ノリ・メ・タンゲレ」などにも登場するようになった。「悔悛する」図像で、マグダラのマリアが頻繁に描かれるようになったのはトリエント公会議以降のことである。カトリックのローマ教会の政策は、若くて魅力のあるマグダラのマリアの肉体を信仰への情熱に結び付けることであったため、17世紀半ばにいたると、この主題に名を借りたエロティックな作品が多数生み出されることになった。そして、このマグダラのマリア像の原型を作ったのは16世紀ヴェネツィア派の巨匠ティツィアーノである[3]。
作品
エル・グレコがマグダラのマリアを描いた作品は5点が知られている[2][3]。その中で、ブダペスト国立西洋美術館、ウースター美術館、ネルソン・アトキンス美術館に所蔵される『悔悛するマグダラのマリア』は、ティツィアーノの作品を図像の源泉としている[1][4]。それに対し、本作は図像的にも様式的にもティツィアーノからそれほど深い影響を受けているわけではない。構図とモティーフは、オマハのジョスリン美術館などにある『瞑想する聖フランチェスコ』を転用したものと考えられる[1]。

本作のマグダラのマリアは救いを求めて天を見上げる代わりに、岩に立てかけたキリストの磔刑像の前で悔悛する姿で表されている。ここには、彼女の象徴である香油壺さえ描かれていない。彼女を暗示するものは、画面左側の悔悛を象徴する髑髏、右上の「不滅の愛」を象徴するツタだけである[1]。彼女の表情は涙に潤んだ恍惚としたものとは異なり、上記の聖フランチェスコと同じく、目を大きく見開いて瞑想する姿で描かれている[1]。官能的な美は、この瞑想的態度に取って代わられている[2]。褐色の髪と、オレンジ色の混ざった明るい褐色の大きく膨らんだ衣は、エル・グレコの手になるものとしては比較的穏やかな青空と見事に調和している[1]。なお、この作品に非常に大きな役割を果たしているのは、聖フランチェスコの場合と同じく、マグダラのマリアの美しい手の仕草である。それは、彼女の美しい顔の表情とともに、あるいはそれ以上に鑑賞者に語りかけてくる[1]。
本作の制作年代は明らかではないが、構図とモティーフが『瞑想する聖フランチェスコ』と非常に類似していること、オレンジ色の混ざった褐色の衣の色が『フランス王聖ルイ』 (ルーヴル美術館) の鎧の上につけた衣の色に近いことから、1585-1590年ごろの制作と見られる[1]。
エル・グレコの『悔悛するマグダラのマリア』
-
『悔悛するマグダラのマリア』(1590年ごろ)モンセラート修道院、モンセラート
脚注
- ^ a b c d e f g h i 『エル・グレコ展』、1986年、184頁。
- ^ a b c “Mary Magdalen in Penitence”. Web Gallery of Artサイト (英語). 2025年8月27日閲覧。
- ^ a b c d e 『エル・グレコ展』、1986年、179-180頁。
- ^ “The Penitent Magdalene”. ブダペスト国立西洋美術館公式サイト (英語). 2025年8月18日閲覧。
参考文献
外部リンク
- 悔悛するマグダラのマリア (エル・グレコ、シッチェス)のページへのリンク