悔悛するマグダラのマリア (エル・グレコ、ブダペスト)とは? わかりやすく解説

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悔悛するマグダラのマリア (エル・グレコ、ブダペスト)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/18 12:58 UTC 版)

『悔悛するマグダラのマリア』
ハンガリー語: Bűnbánó Magdolna
英語: The Penitent Magdalene
作者 エル・グレコ
製作年 1576-1578年頃
種類 キャンバス上に油彩
寸法 156.5 cm × 121 cm (61.6 in × 48 in)
所蔵 ブダペスト国立西洋美術館ブダペスト

悔悛するマグダラのマリア』(: Bűnbánó Magdolna: Penitent Magdalene) は、ギリシャクレタ島出身のスペインの巨匠エル・グレコキャンバス上に油彩で制作した絵画である。画家の初期トレド時代の1576-1578年ごろに描かれ、当時の彼が受けていたティツィアーノの影響を示している[1][2]。現在、ブダペスト国立西洋美術館に所蔵されている[2][3]

主題

「洗礼」こそ真の「悔悛」の秘蹟であるとして「悔悛」の意義を否定したプロテスタントに対して、対抗宗教改革期にカトリック側はこの「悔悛」の主題を称揚した。そして、この主題に最もふさわしい聖人として取り上げられたのが聖ペテロとマグダラのマリアである。娼婦であったマグダラのマリアは、人間の普遍的な罪を一身に担う存在と考えられた。彼女は、イエス・キリストシモンの家に食事に招かれた際、「香油が入れてある石膏の壺を持ってきて、泣きながら、イエスのうしろでその足もとに寄り、まず涙でイエスの足をぬらし、自分の髪の毛でぬぐい、そして、その足に接吻して、香油を塗った」(「ルカによる福音書」:第7章37-38)。彼女は熱烈な愛情と不変の忠誠をキリストに捧げたのみならず、キリストの磔刑と埋葬に立ち会い、最初にキリストの復活を発見した人物でもある。マグダラのマリアのアトリビュートは「香油の壺」であるが、そのほかにもロザリオ髑髏聖典が彼女を特定するのに用いられることがある[4]

歴史的背景

マグダラのマリアは中世以降、無数の美術作品の主題に採用されてきた。中世後期においては、もっぱら「キリストの磔刑」図でキリストの足元に悲嘆する姿で描かれたが、中世末からルネサンスにいたって主題のレパートリーも増え、「十字架降下」、「キリストの埋葬」、「キリストの復活」、「ノリ・メ・タンゲレ」などにも登場するようになった。「悔悛する」図像で、マグダラのマリアが頻繁に描かれるようになったのはトリエント公会議以降のことである。カトリックのローマ教会の政策は、若くて魅力のあるマグダラのマリアの肉体を信仰への情熱に結び付けることであったため、17世紀半ばにいたると、この主題に名を借りたエロティックな作品が多数生み出されることになった。そして、このマグダラのマリア像の原型を作ったのは16世紀ヴェネツィア派の巨匠ティツィアーノである[4]

現在、エル・グレコ作と考えられる『悔悛するマグダラのマリア』は5点存在する。ティツィアーノは1530年ごろから1570年ごろにかけて、ほとんど同じ構図で『悔悛するマグダラのマリア』を描いているが、これに工房作を加えるとその数は膨大なものとなる。エル・グレコがそれら一群の作品群を知っていたことは十分に想像される。また、エル・グレコが移り住んだスペインにも、当時少なくとも2点の作例 (現在では失われている) があった[4]

作品

ティツィアーノ悔悛するマグダラのマリア』(1565年)、エルミタージュ美術館 (サンクトペテルブルク)

本作にはティツィアーノの同主題作の強い影響が見られ、画家のトレド移住後の初期に描かれたことは間違いない[3]。ティツィアーノに倣い、エル・グレコはマグダラのマリアが荒野で死と永遠性について瞑想するうちに悔悛する場面を描いている。しかし、ティツィアーノが彼女の情熱に官能性を加味しているのに対し、エル・グレコの本作ではまばゆい光線が彼女を浄化し、肉体的拘束から解き放って高みへと上昇させているようである[2]

理想美はいまだティツィアーノの女性半身像のものであるが、内面的緊張および人間と自然の関連性はマニエリスム様式の始まりを示唆する[3]。右手の指の配置は、エル・グレコの絵画に特徴的なものとなっている。なお、本作のモデルは、画家の愛人ヘロニマ・デ・クエバス (Jerónima de las Cuevas) であると推測する研究者もいる[3]

地上世界の儚さを示す髑髏は、マグダラのマリアの手から転げ落ちている。彼女の背後にある永遠性の象徴であるツタは、天に向かって伸びている。冷たい月の光に照らされた寒色の暁の風景は、マグダラのマリアの精神的カタルシスの経験を繊細に反映したものである[2]

ギャラリー

ウースター (マサチューセッツ州) にあるウースター美術館英語版には1577年ごろ制作の『悔悛するマグダラのマリア』が、カンザスシティ (ミズーリ州)ネルソン・アトキンス美術館には1580-1585年ごろ制作の『悔悛するマグダラのマリア』が所蔵されている[5]。また、シッチェスカウ・フェラー美術館英語版には、1585-1590年に描かれた異なる構図の同主題作が所蔵されている。

脚注

  1. ^ Scholz, pag. 26.
  2. ^ a b c d The Penitent Magdalene”. ブダペスト国立西洋美術館公式サイト (英語). 2025年8月18日閲覧。
  3. ^ a b c d Mary Magdalene in Penitence”. Web Gallery of Artサイト (英語). 2025年8月18日閲覧。
  4. ^ a b c 『エル・グレコ展』、1986年、179-180。
  5. ^ The Penitent Magdalene”. ネルソン・アトキンス美術館公式サイト (英語). 2025年8月18日閲覧。

参考文献

  • 『エル・グレコ展』、国立西洋美術館東京新聞、1986年
  • (スペイン語) ÁLVAREZ LOPERA, José, El Greco, Madrid, Arlanza, 2005, Biblioteca «Descubrir el Arte», (colección «Grandes maestros»).
  • (スペイン語) SCHOLZ-HÄNSEL, Michael, El Greco, Colonia, Taschen, 2003. ISBN 978-3-8228-3173-1

外部リンク




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