悔悛するマグダラのマリア_(エル・グレコ、カンザスシティ)とは? わかりやすく解説

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悔悛するマグダラのマリア (エル・グレコ、カンザスシティ)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/28 13:23 UTC 版)

『悔悛するマグダラのマリア』
スペイン語: Magdalena penitente
英語: Penitent Magdalene
作者 エル・グレコ
製作年 1580-1585年ごろ
種類 キャンバス上に油彩
寸法 101.6 cm × 81.9 cm (40.0 in × 32.2 in)
所蔵 ネルソン・アトキンス美術館カンザスシティ

悔悛するマグダラのマリア』(かいしゅんするマグダラのマリア、西: Magdalena penitente: Penitent Magdalene)は、ギリシアクレタ島出身のマニエリスム期のスペインの巨匠エル・グレコが制作したキャンバス上の油彩画である。初期作品の制作年代の1つの手がかりとなる署名は記されていないが、様式的に1580-1585年ごろに描かれたと思われる[1]。作品はウィリアム・ロックヒル・ネルソン (William Rockhill Nelson) 基金により[1]1930年に購入されて以来、カンザスシティネルソン・アトキンス美術館に所蔵されている[1][2]

主題

洗礼」こそ真の「悔悛」の秘蹟であるとして「悔悛」の意義を否定したプロテスタントに対して、対抗宗教改革期にカトリック側はこの「悔悛」の主題を称揚した。そして、この主題に最もふさわしい聖人として取り上げられたのが聖ペテロマグダラのマリアである[3]。娼婦であったマグダラのマリアは、人間の普遍的な罪を一身に担う存在と考えられた。彼女は、イエス・キリストシモンの家に食事に招かれた際、「香油が入れてある石膏の壺を持ってきて、泣きながら、イエスのうしろでその足もとに寄り、まず涙でイエスの足をぬらし、自分の髪の毛でぬぐい、そして、その足に接吻して、香油を塗った」(「ルカによる福音書」:第7章37-38)。彼女は熱烈な愛情と不変の忠誠をキリストに捧げたのみならず、キリストの磔刑と埋葬に立ち会い、最初にキリストの復活を発見した人物でもある。マグダラのマリアのアトリビュート (人物を特定する事物) は「香油の壺」であるが、そのほかにもロザリオ髑髏聖典が彼女を特定するのに用いられることがある[3]

歴史的背景

ティツィアーノ悔悛するマグダラのマリア』(1565年)、エルミタージュ美術館 (サンクトペテルブルク)

マグダラのマリアは、中世以降、無数の美術作品の主題に採用されてきた[3]。中世後期においては、もっぱら「キリストの磔刑」図でキリストの足元に悲嘆する姿で描かれたが、中世末からルネサンスにいたって主題のレパートリーも増え、「十字架降下」、「キリストの埋葬」、「キリストの復活」、「ノリ・メ・タンゲレ」などにも登場するようになった。「悔悛する」図像で、マグダラのマリアが頻繁に描かれるようになったのはトリエント公会議以降のことである。カトリックのローマ教会の政策は、若くて魅力のあるマグダラのマリアの肉体を信仰への情熱に結び付けることであったため、17世紀半ばにいたると、この主題に名を借りたエロティックな作品が多数生み出されることになった。そして、このマグダラのマリア像の原型を作ったのは16世紀ヴェネツィア派の巨匠ティツィアーノである[3]

現在、エル・グレコ作と考えられる『悔悛するマグダラのマリア』は5点存在するが、その中で本作はウースター美術館英語版の作品と並んで、ティツィアーノの影響を最も顕著に示す作例といわれている[3]。ティツィアーノは1530年ごろから1570年ごろにかけて、ほとんど同じ構図で『悔悛するマグダラのマリア』を描いているが、これに工房作を加えるとその数は膨大なものとなる。エル・グレコがそれら一群の作品群を知っていたことは十分に想像される。また、エル・グレコが移り住んだスペインにも、当時少なくとも2点の作例 (現在では失われている) があった[3]

作品

本作のマグダラのマリアの姿勢は、基本的にウースター美術館のものと同じである。しかし、画家の視点が対象に接近しているほか、様式と技法にはかなりの相違があり、背景も大きく異なる[1]。ウースター美術館のマグダラのマリアは逞しく、彫塑性の強調された表現が用いられていたが、本作では身体表現も自然に近くなっており、頭部から手の先まで伸びる逆S字型の曲線もそれほど奇異なものではない。その原因の1つは、肌の表現がウースター美術館の作品のような無機質なものではなく、柔らかいタッチによる暖かみのあるものに変わっているからである。顔の表情も劇画的な悲壮感はなく、うっとりとしたより自然なものに変化している[1]

ウースター美術館の作品同様、本作でも崖の形を利用して背景を対角線に沿って二分している。しかし、ウースター美術館の作品とは異なり、本作ではマグダラのマリアの向かって右背後に崖、左背後に空を描いている[1]。また、ウースター美術館の作品では、不吉な黒雲は単なる背景の役割をしているに過ぎなかった。一方、本作では、青空に突如沸き上がった異様な黒雲が上から強い陽光に照らされて縁を白く輝かせ、空全体が神の存在を暗示するきわめて劇的なものとなっている。ウースター美術館の作品とは逆に、マグダラのマリアの視線の先に空を配置した理由は、おそらくこのことに関連している[1]ツタ、ガラスの香油壺、髑髏は画面の右側[2]に移されており、それにより全体の構図に安定感が生まれている[1]

エル・グレコの『悔悛するマグダラのマリア』

脚注

  1. ^ a b c d e f g h 『エル・グレコ展』、1986年、183頁。
  2. ^ a b The Penitent Magdalene”. ネルソン・アトキンス美術館公式サイト (英語). 2025年8月27日閲覧。
  3. ^ a b c d e f 『エル・グレコ展』、1986年、179-180頁。

参考文献

外部リンク




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