聖母の結婚 (エル・グレコ)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/21 02:58 UTC 版)
スペイン語: Los desposorios de la Virgen 英語: The Marriage of the Virgin |
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作者 | エル・グレコ |
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製作年 | 1603-1605年 |
種類 | キャンバス上に油彩 |
寸法 | 110 cm × 83 cm (43 in × 33 in) |
所蔵 | ルーマニア国立美術館、ブカレスト |
『聖母の結婚』(せいぼのけっこん、西: Los desposorios de la Virgen、英: The Marriage of the Virgin)は、ギリシア・クレタ島出身のマニエリスム期のスペインの巨匠エル・グレコが1603-1605年に制作したキャンバス上の油彩画である。現在、ブカレストにあるルーマニア国立美術館に所蔵されている[1]。 イリェカスにあるカリダー施療院 (Santuario de Nuestra Señora de la Caridad) 附属礼拝堂の高祭壇のために制作された5点の作品群のうちの1点で[1][2][3]、それらの絵画はみな聖母マリアの栄光を讃えるものであった[2]。本作以外の4点 (『慈愛の聖母』、『キリストの降誕』、『聖母戴冠』) は現在もカリダー施療院に掛けられている[2]。
主題
外典福音書や『黄金伝説』によると、聖母マリアはエルサレム神殿で育てられた。大祭司ザカリア(洗礼者聖ヨハネの父)は天使の助言に従って、神の徴が現れた者を聖母マリアの夫とするために、国中から結婚可能な男たちに杖を持って神殿まで来させた。その中に年老いたナザレのヨセフがおり、彼が杖を持って神殿内の祭壇に杖を置くと、ナザレのヨセフの杖だけ花が咲いた。この奇跡によりマリアの夫となる者が誰の目にもヨセフであることが明らかとなった。ヨセフは自分が高齢であり、マリアとの年齢差があまりに大きいために辞退しようと考えたが、説得を受けて結婚した。
作品
エル・グレコは、1603年の夏から1605年の夏までの約2年間[2][3]にカリダー施療院の高祭壇のために上記の5点の絵画を制作した[2]。今世紀初頭に施療院附属礼拝堂は大幅に改修され、エル・グレコの5点の作品群の状態を伝える資料が何もないことから、これらの作品が置かれていた位置は、作品群の完成から2年間も続いた画家と参事会の間の金銭上のトラブルを伝える記載[2][3]、施療院改修前の状態を見たコッシオ (Cossio) の記録から窺い知るのみである[2]。
本作に関する言及は、カリダー施療院とエル・グレコの間の本来の契約には見られない。しかし、緊張感のある描写とほぼ完全に溶解している形態は、画家の最晩年の時期を特徴づけるものである[1]。右側から3番目の人物の頭部は、ほぼ間違いなく年老いたエル・グレコ自身の肖像であり、 同時期に描かれた『聖霊降臨』中の類似したポーズの使徒の頭部と同じものとなっている[1]。なお、本作は未完成作品である[1]。
脚注
参考文献
- 『エル・グレコ展』、国立西洋美術館、東京新聞、1986年
- 大高保二郎・松原典子『もっと知りたいエル・グレコ 生涯と作品』、東京美術、2012年刊行 ISBN 978-4-8087-0956-3
外部リンク
- 聖母の結婚_(エル・グレコ)のページへのリンク