思想と人権に関する活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/27 22:38 UTC 版)
張は博学者(ルネサンス・マン)であったと言われている。張は劇作家、音楽家、外交官であり、中国の伝統的な文学や音楽を愛し、西洋文化とイスラム文化にも精通していた。張の哲学は儒教に基づいていた。国連経済社会理事会(経社理)の初会合で、張は孟子の言葉を引用し、経社理の最高の目的は善意で人々を従わせることであると述べた。また、権利に関して影響力のある西洋の思想家の多くが、中国の思想に導かれていると主張した。1948年の国連総会で「人権に関する進歩的な考えがヨーロッパで初めて提唱された18世紀には、中国の哲学者の翻訳がヴォルテール、ケネー、ディドロなどの思想家に知られ、彼らの封建制に対する人間的な反乱に影響を与えていた」と述べている。 国連人権委員会の初代副委員長と中華民国代表を務め、世界人権宣言の起草委員会では、アジアの有能な代表として、また交渉が膠着状態に陥った際には調停役としても活躍した。哲学者・外交官でレバノン代表のチャールズ・マリクとは、普遍的な人権の理想を共有していたが、それが何であるか、国際的な文書にどのように記述すべきかについて激しく議論していた。ある委員は、張とマリクは「お互いに憎み合っている」と日記に書いていた。しかし、張とマリクは審議の哲学的リーダーであった。張は、現代世界が孟子などの中国の哲学者に敬意を払うべきであり、それは彼らが中国人だからではなく、彼らの思想が普遍的な妥当性を持つからであると主張した。
※この「思想と人権に関する活動」の解説は、「張彭春」の解説の一部です。
「思想と人権に関する活動」を含む「張彭春」の記事については、「張彭春」の概要を参照ください。
- 思想と人権に関する活動のページへのリンク