御集公刊後
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『明治天皇御集』が文部省から公刊された後、越後の人から問い合わせがあり、明治32年の御製に「夏寒き越の山路にさみだれに濡れて越えしも昔なりけり」とあるが、実際の北陸巡幸は明治11年9月であり、9月なのに「さみだれ」(五月雨)とはどういうわけか、と聞かれる。臨時編纂部の筆頭委員井上通泰は、年譜を確認せずに疑義を起こさなかったのは自分らの責任であると認めている。 『明治天皇御集』に掲載された御製を解釈する書籍は数々出ている。そのうち臨時編纂部委員の著作としては次のものがある。 千葉胤明『明治天皇御製集』大阪毎日新聞社、1922年。 佐佐木信綱『明治天皇御集謹解』朝日新聞社、1927年。 明治天皇御集は文部省が出版したもの以外にも様々な出版社から出版される。なかでも有名なのは岩波文庫版『明治天皇御集』である。これは1938年(昭和13年)に岩波書店から出版された。岩波書店は日本主義者からしばしば攻撃されていたが、岩波文庫は古今東西にわたり分野を問わない方針のゆえ『万葉集』『古事記』『神皇正統記』『葉隠』など日本主義と目される書籍も収録していたのである。岩波文庫版『明治天皇御集』も日本主義者に広く受け入れられたと考えられる。戦場において岩波文庫はそれを所有しているだけで日本精神を担保する役割があったという。阿川弘之は戦場における岩波文庫を回想する文章で次のように語っている。 時々身の廻り品の検査がある。「葉隠」や「明治天皇御集」は、そんな時、一種の証明書のような役割を演じてくれた。あまり愛読はしなかったから、いつも綺麗であった。 戦後1964年(昭和39年)明治神宮が『新輯明治天皇御集』を出版する。これは宮内省蔵版『明治天皇御集』1687首よりも多い8936首を収める。また明治神宮は1967年(昭和42年)に『新輯』から1404首を抜抄し、昭憲皇太后御集と合本して角川文庫から『新抄明治天皇御集昭憲皇太后御集』を出版する。さらに1990年(平成2年)には『新輯明治天皇御集』を年別から項目別に並べなおした『類纂新輯明治天皇御集』を出版する。
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