御陵衛士時代とは? わかりやすく解説

御陵衛士時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 07:02 UTC 版)

藤堂平助」の記事における「御陵衛士時代」の解説

慶応3年3月1867年4月)、伊東一派と共に御陵衛士高台寺党)を結成すべく新選組離脱。これより当初の上洛の動機であった尊王攘夷志士への道をようやく歩み出すことになる。 御陵衛士時代の主だった平助活動としては、 美濃出張し美濃屈指の侠客水野弥太郎懐柔し、水野配下農兵数百組織し奇兵隊のような大軍隊にする計画立案し、さらに金銭面の援助も得る約束取り交わした伊東斎藤鈴木三樹三郎らとの連名長州への寛大な処分求め建白書朝廷幕府提出した。 等が挙げられる。 なお、御陵衛士側に間者として潜入していた斎藤からこれらの報告受けた近藤激怒し御陵衛士殲滅決意したという。 また、衛士たちは英語の習得ロケット製造方法のような火薬研究などの研鑽努めていた。 篠原泰之進(秦親)の覚書には、『ぐうとないと「こんばんハ』『ぎふみい「私に被下(くだされ)』『せんきゅう難有ありがとう)』『あいらぶきゆう「私あなたをすきです』といった内容があり、平助同様に勉学励んでいたものとみられる

※この「御陵衛士時代」の解説は、「藤堂平助」の解説の一部です。
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