御陵社とは? わかりやすく解説

御陵社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 11:34 UTC 版)

新田神社 (薩摩川内市)」の記事における「御陵社」の解説

可愛陵社(えのみささぎしゃ)祭神:邇邇明治7年可愛山陵指定によって創建れ新田神社境内社となったが、大正3年宮内省管轄移管される。 この邇邇尊の御陵の陵形については、方墳南北11m・東西10m)説の他、髙塚式円墳説、扁平な小方丘説などがある。 端陵神社(はしのみささぎじんじゃ祭神木花開耶姫尊(邇邇尊の妃神神亀山の頭部部分鎮座。邇邇尊の妃神御陵と伝わるため、「御前様陵(ごぜんさまみささぎ)」とも呼ばれる。 この木花開耶姫御陵と伝わる端陵古墳は、1987年川内市歴史資料館により測量され結果、山の稜線利用した全 長54mの前方後円墳判明した前年1986年現地踏査では墳裾も確認されている。 中陵神社(なかのみささぎじんじゃ祭神火闌降命(邇邇尊の皇子神) 神亀山の首部分に鎮座祭神御陵と伝わる。 この火闌降命御陵と伝わる中陵古墳は、本格的な測量実施されていないが、1986年川内市歴史資料館により端陵古墳 と共に現地踏査が行なわれ、こちらからも墳裾が確認されており、略測で直径約22mの円墳可能性があるとされている。 文化3年1806年)にここにあった古い松の木枯れて土地の人が切り除き根を掘りとった際、石榔に掘り当たりその中に あった石棺石を引き開いたところ、中から白煙吹き出しその石棺内部は青味がかった赤色であったという逸話残っている。 川合神社かわあいみささぎじんじゃ祭神天火明命(邇邇尊の兄弟神、もしくは皇子神) 神亀ではなく五代町冠山の麓に鎮座御陵殿(みささぎどん)とも称された。 はじめ社は、冠山山上にあったといわれているが、その後陵が崩れたため冠山の麓に移したとされる社殿のすぐ西側祭神墳墓と伝わるチョッポ岡という小丘がある。

※この「御陵社」の解説は、「新田神社 (薩摩川内市)」の解説の一部です。
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