新選組・御陵衛士時代とは? わかりやすく解説

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新選組・御陵衛士時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/08 07:27 UTC 版)

鈴木三樹三郎」の記事における「新選組・御陵衛士時代」の解説

1864年10月旧知である藤堂平助新選組隊士募集求め応じ甲子太郎篠原泰之進と共に京都赴く。のち、正式に新選組加盟するこのころ三木三郎称す目付務めた後、1865年九番組長となる。 1867年3月、兄らと共に新選組から分離し御陵衛士高台寺党)に属す。三三郎三木和泉称する。ところが同年11月18日に、兄・甲子太郎新選組によって暗殺。兄の遺体収容時に迎撃する新選組との乱闘切り抜けて加納鷲雄富山弥兵衛とともに薩摩藩邸に保護された(油小路事件)。鳥羽・伏見の戦いでは、薩摩藩中村半次郎指揮下(薩摩藩一番隊)に入って伏見奉行所の新選組と戦う。 後に東征軍先鋒隊に合流する1月15日結成され赤報隊では二番隊隊長務めたが、相楽総三率い一番隊とは袂を分かち東海道進軍する相楽総三らの偽官軍事件連座した疑惑によって入牢し、阿波徳島藩邸や阿波徳島藩本陣投獄されたあと、待遇改善され薩摩藩預かりとなる。 その後新政府軍徴兵七番隊に加わる。6月には軍務局軍曹拝命して江戸へ下向し、戊辰戦争では北越会津における戦線戦った

※この「新選組・御陵衛士時代」の解説は、「鈴木三樹三郎」の解説の一部です。
「新選組・御陵衛士時代」を含む「鈴木三樹三郎」の記事については、「鈴木三樹三郎」の概要を参照ください。

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