新選組と新徳寺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/20 14:44 UTC 版)
「新徳寺 (京都市)」の記事における「新選組と新徳寺」の解説
新徳寺は、江戸時代末期(幕末)で活躍した新選組にまつわる最初の舞台となった場所としても知られる。 上洛した新選組の前身浪士組のリーダー清河八郎が浪士たちを集めて、大演説をしたのが新徳寺の本堂である。「尊王攘夷をやる」と清河らは江戸に引返したのであったが、八木邸を宿舎としていた近藤勇のグループが「我々の役目は幕府権力の維持だ」として、清河が率いる浪士組を脱退して京都に残ったのである。これが新選組の誕生である。
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