新選組と弾左衛門配下の混成部隊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/04 08:41 UTC 版)
「甲陽鎮撫隊」の記事における「新選組と弾左衛門配下の混成部隊」の解説
近藤は当初、幕府から5000両の資金と大砲2門(6門だったが重かったので2門にした)と銃500挺を受領する。しかし、新選組は相次ぐ戦闘や脱走による兵力の減少が著しく、兵力の補強が急務であったため、浅草新町の弾左衛門に協力を要請する。弾左衛門の配下は関東一円から甲州・伊豆にかけて10万人ともいわれ、かねてから身分の引き上げを念願にしており、幕府御典医松本良順は弾左衛門の隠居(12代目)が疫病にかかったのを往診したことから親しくなっていた。 3月1日、70余人の新選組は、春日隊40人と弾左衛門配下の被差別民200人を加えて甲陽鎮撫隊と改称し、大砲2門・小銃500挺・軍資金5000両で甲州へ進軍した。幕命により、近藤は大久保大和守剛、土方歳三は内藤隼人と称した。近藤らは甲府城への入城を目指したが、進軍の途中、幕府から得た5000両を使って大名行列のように派手に豪遊しながらの行軍をしたため時間を空費し、板垣退助率いる官軍迅衝隊(東山道先鋒総督軍)に、一日早く入城されてしまう。
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