後退翼とデルタ翼
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/06/08 08:56 UTC 版)
「Su-9 (航空機)」の記事における「後退翼とデルタ翼」の解説
スホーイに再びチャンスが巡ってきたのは、マッハ 2クラスの新型大型戦闘機の開発に際してのことであった。1953年3月、スホーイに航空産業省第1設計局(OKB-1;ОКБ-1)の設計主任の任に就くよう指令がおりた。当時、他局を押しのけて主要な戦闘機設計局となっていたミグ設計局は空軍の主力戦闘機となるべき小型の超音速前線戦闘機の開発で手一杯であったため、スホーイに大型の前線戦闘機と防空軍向けの迎撃戦闘機の開発が命ぜられた。これらスホーイの大型機は、ミグの小型機よりも大きな収容力を生かしてより高い能力を持つ機体としての完成が期待された。設計局は、その年の末に自身の根拠地となる第51工場を受給された。 当時はどの国でも超音速における航空技術に関してはまったくの暗中模索というような状態であった。ソ連では、その中でも特に「後退翼」か「デルタ翼(三角翼)」かという議論に結論が見出せないでいるところであった。そのため、ミグ、スホーイ両設計局には同じ胴体・尾翼を利用してそれぞれの翼型を持った機体を試作することが命ぜられた。 このときミグで開発されたデルタ翼機は、のちに超音速機としては最大の生産数を達成することとなるMiG-21シリーズへと発展した。後退翼機(Ye-2)は量産されなかった。ともに空軍へと配備されることになる同クラスの戦闘機が平行して生産される必要はなかったためであるといわれる。一方、スホーイで開発された後退翼機S-1、S-3のうち前線戦闘機として開発されたS-1は、目標通り大型の前線戦闘機Su-7として完成した。Su-7シリーズは、次のSu-7B以降ソ連初の本格的戦闘爆撃機へと発展した。Su-7シリーズは、ソ連空軍をはじめワルシャワ条約機構諸国やアジア・アフリカ諸国で多数が配備された。 一方、これと同じ機体を持つデルタ翼機T-3(Т-3)は、防空軍向けの迎撃戦闘機として設計された。「T」(テー)は、ロシア語で「三角形の」を意味する形容詞「треугольный」(トリウゴーリヌィイ)を表している。また、デルタ翼の研究機は「トレウゴールカ」(Треуголкаトリウゴールカ:「正装用の三角帽」のこと)と渾名された。のちにSu-9と命名されることとなるこの機体は、姉妹機のSu-7とともにスホーイ設計局の復活を担った重要な機体となったといえる。 T-3は1954年、後退翼機S-1やS-3と同時期に設計局で開発が始められた。T-3に平行して、前線戦闘機型となるT-1も設計されたが、こちらはS-1の採用を以って開発中止となった。一方のT-3の開発は、先に開始されたS-1の開発を追い越し進行した。
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