後継者の発展
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 17:12 UTC 版)
ポール・フェダーンは最重度のメランコリーに「死の欲動」が観察されるとし、同様の指摘はしばしばなされる。フロイトの弟子にも受け入れた者はいたが、しかし大勢ではフロイトの「死の欲動」概念は批判が多く、フロイト死後になってから、死の欲動の考えを取り入れた学者達により新たな展開がなされてゆく。継承発展させた人物はメラニー・クライン、ジャック・ラカンが代表的である。 現代では「死の欲動」という概念は精神分析の臨床では用いられにくく、むしろ「攻撃性」それ自体が本質的なものとして考えられている。それは臨床において現れるのは「死の欲動」という概念ではなく、むしろ医師への攻撃的な反応や怒りだからである。また自傷行為や自罰行為も見られ、このことから「攻撃的なもの」としての死の欲動の概念が深く考えられるようになった。 対象関係論においてはリビドーと攻撃性が非常に重要である。特にメラニー・クラインやその後継者においては不安や迫害妄想に焦点が当てられている。精神病の患者自身を破壊する幻聴などの源泉として死の欲動が援用される。死の欲動や分裂した悪い自我部分は投影性同一視として、幻覚や幻聴を通して患者に帰ってくるという考え方などが言われている。 それに対して自我心理学では死の欲動を広範囲の攻撃性として捉えている。これはハインツ・ハルトマンやエルンスト・クリスによって主張されたもので、そもそもフロイトにおいて死の欲動に相当する攻撃性が適切に把握されていなかったので(年代において言うことが異なる)、それを自我との関連で統合的に捉えた結果、死の欲動はそれ自体は確認されず、むしろ自我の攻撃性や支配性向などとして活用されるとしている。また「死の欲動」を攻撃性と捉えると、「攻撃的な」という概念は何にでも当てはまるので(例えば友達との競争や何かに勝ちたいという気持ち、それに所有する欲求など)、そもそもの概念に疑問符が付されたりもした。 そして自己心理学においては、死の欲動はあくまでも自己の崩壊産物であり、その本質は自己主張的な性質として、人間の正常な活力として考えられている。攻撃性は本来適切な欲求や感情なのである。しかし患者や他人が適切に反応してくれないと、患者は自己がばらばらになり、その欲求不満を憤怒として表す。これが典型的な攻撃性によって現れる自己愛憤怒である。これに付随して抑うつや自傷行為やサディズム・マゾヒズムが生じる。このようにそもそも自己心理学では本質的な攻撃性と、二次的な自己の破壊産物である攻撃性を分ける。そしてフロイトの想定した「死の欲動」は心理的な活力という概念に置き換えられて把握されている。
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