後世の作品における逸話
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 00:43 UTC 版)
天叢雲剣(草薙剣)の喪失は、朝廷(後白河法皇他)・鎌倉幕府(源頼朝他)ふくめ各方面に大きな衝撃をあたえ、神剣なしに即位した後鳥羽天皇は微妙な立場に置かれた。『平家物語』では、陰陽寮博士の言葉として『昔出雲國肥の河上にて素戔烏尊に切り殺され奉し大蛇、靈劍を惜む志深くして八の首(かしら)八の尾を表事(へうじ)として人王八十代の後、八歳の帝(みかど)と成て靈劍を取り返して海底に沈み給ふにこそ。』(八頭八尾の八岐大蛇は、人王八十代の安徳天皇となり、八歳の時に天叢雲剣を取り返して海底に帰っていった)と記述している。なので「宝剣が見つからないのも(宝剣の所有者たる天皇の元に戻らないのも)当然だ」としている。これを受けて『太平記』(第25巻)では、承久の乱以降に武家の権力が強く皇室の威光が衰えたのは宝剣が海底に沈んでいたからであるとし、天照大神が龍宮に神勅を下し、伊勢の浜に宝剣を打ち上げさせたとしている。ただし反対意見により平野神社に預けられた。 天台座主慈円は『愚管抄』において「安徳天皇は平清盛の請願により厳島明神(厳島神社)が化生(けしょう)した存在だから竜王の娘であり、海の底へ帰っていったのだろう」と推測。また「武士が表に立って天皇を守るようになったため、天皇の武力の象徴たる宝剣が天皇の元から失われるのも世の流れだ」と考察している。 『平家物語』に安徳天皇は実は女帝であったのではないかという疑念を起こさせるような容姿の描写があり、『愚管抄』でも「龍王の娘」と記述している(上述)。これらをもとにして、浄瑠璃・歌舞伎の『義経千本桜』などでは、女子であったという筋立てを採用している(渡辺1990:82-122ページ参照)。泉湧寺に残る安徳幼帝の肖像も女子のようにも見える。
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