後世の写真家への影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/09/25 12:14 UTC 版)
「ムンカーチ・マールトン」の記事における「後世の写真家への影響」の解説
1932年、当時無名であったアンリ・カルティエ=ブレッソンはムンカーチがリベリアの海岸で撮影した「Three Boys at Lake Tanganyika(タンガニーカ湖の3人の少年)」を見た。カルティエ=ブレッソンは後に次のように語っている。「私にとってこの写真は、熱狂を燃え上がらせた火花のようなものだった。私は写真というものが、瞬間を捕える事によって、永遠性を獲得するものだということを悟った。この写真は私に影響を与えた唯一のものだ。それはとても強烈で、生きる喜びに満ち溢れ、人生や世界の不可思議を感じさせてくれるので、今日に至るまで私を魅惑し続けてやまない。」 リチャード・アヴェドンはムンカーチについて次のように述べている。「彼は幸福と正直さと女性の愛を、それまでの喜びも愛も無い置物の芸術にもたらした。今日ファッション写真の世界にはムンカーチの子供達が大勢住んでいる。ムンカーチの芸術には彼が人生に望んだものが横たわっている。彼は人生が輝かしいものであることを望んだ。そして実際その通りになった」 2007年、ニューヨーク・国際写真センターで開かれたムンカーチの個展のタイトルは、彼の言葉に因んだ「Martin Munkácsi: Think While You Shoot!(撮りながら考えろ!)」であった。
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