当時の宝塚市の上水源の問題とは? わかりやすく解説

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当時の宝塚市の上水源の問題

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/30 13:50 UTC 版)

川下川ダム」の記事における「当時の宝塚市の上水源の問題」の解説

宝塚市北部西谷地区には規模大きな上水貯水池千苅水源池があるが、千苅ダムから取水された全量神戸市送られ宝塚市貯水池恩恵は無い。宝塚市中心部流れ武庫川全長65km、流域面積500平方キロメートル2級河川で、阪神間では最も大きな川である。しかしこの川を流れ(表流水)の利用権江戸時代から続く下記五井組(水利組合)だけに認められていて、宝塚市上水用に採取することはできなかった。 武庫川上流から順に各水利組合によって計画的に取水されているが、渇水時には下流では川床干上がることもある。そのため下流水利組合上流での取水については厳し目を向けており、表流水ではなくて武庫川近傍での取水神経とがらせていた。昭和34年1959年)に宝塚市武庫川左岸小浜地区上水用の浅井戸掘削しようとした際(武庫川伏流水に相当)には、下流の井組から「上流大量に揚水されると武庫川水量が減る」と猛反対会って難航し2年かかって兵庫県仲介によって揚水量や毎年補償金を払う事を定めた覚書交わして解決したが、それでも増大する需要追いつかなかった。その他の水源として武庫川右岸逆瀬川渓流があったが、いずれも水中フッ素濃度高く下記斑状歯問題起こっている。下の表は宝塚市とその下流武庫川から取水している水利組合上流から順に列記したもので、面積の単位昭和35年までが町歩で平成haだが、両者はほとんど同じ面積を示すので直接比較が可能。 武庫川下流井堰かんがい面積年代昭和初期昭和8年1933年昭和35年1960年平成2年1990年川面井(宝塚市38 38 35 6.3 伊孑志井(宝塚市162 178 65 17.3 昆陽井伊丹市400 486 400 108.5 百間樋井(西宮市)1,658 685 300 130.0 六井(尼崎市伊丹市)1,200 1,200 602 131.1

※この「当時の宝塚市の上水源の問題」の解説は、「川下川ダム」の解説の一部です。
「当時の宝塚市の上水源の問題」を含む「川下川ダム」の記事については、「川下川ダム」の概要を参照ください。

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