弾薬庫の発火
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 09:16 UTC 版)
弾薬庫に搭載した砲弾・装薬・爆弾等が何らかの要因により発火・爆発に至った事案である。海軍内部でのいじめに対する報復が原因で起きた事件もある、とされる。 爆発に伴い発生したエネルギーは船体に重大なダメージを与え、しばしば船体の切断や水線下への破口形成等に発展し、艦の沈没に直結する。 代表的な事例 メイン(アメリカ・戦艦) - 1898年2月15日、死者266名(日本人8名を含む)ハバナ湾に停泊中、前部弾薬庫が爆発し沈没。 この事件は政治的に利用され、2ヶ月後の米西戦争開戦の口実とされた。 三笠(日本・前弩級戦艦) - 1905年9月11日、死者339名佐世保港内に停泊中、後部弾薬庫が爆発し沈没。 艦は翌年8月浮揚され、修理の後1908年4月再就役した。 松島(日本・防護巡洋艦) - 1908年4月30日、死者223名前後馬公港内に停泊中、後部弾薬庫が爆発し沈没。 レオナルド・ダ・ヴィンチ(イタリア王国海軍・弩級戦艦) - 1916年8月2日、死者249名ターラント港内に停泊中、爆発事故により沈没。イタリア当局は『爆発はオーストリア=ハンガリー帝国による破壊工作だ』と主張した。 インペラトリッツァ・マリーヤ(ロシア・弩級戦艦) - 1916年10月20日、死者225名セヴァストポリ港内に停泊中、火災が副砲弾薬庫に引火し爆発・沈没。生存者85名。 筑波(日本・巡洋戦艦) - 1917年1月14日、死者73名横須賀港内に停泊中、前部弾薬庫が爆発し沈没。 ヴァンガード(イギリス・弩級戦艦) - 1917年7月9日、死者843名スカパ・フローに停泊中、弾薬庫が爆発し沈没。 河内(日本・弩級戦艦) - 1918年7月12日、死者621名徳山湾に停泊中、1番主砲塔付近で爆発があり、横転し沈没。生存者438名。 陸奥(日本・超弩級戦艦) - 1943年6月8日、死者1,121名柱島泊地に停泊中、3番主砲塔付近で爆発があり、船体を切断され沈没。生存者350名。 原因は諸説ある。一時は対空弾「三式通常弾」の自然発火説が有力であったが現在ではほぼ否定されている。 ノヴォロシースク(ソビエト連邦海軍・弩級戦艦) - 1955年10月29日、死者652名セヴァストポリ港内に停泊中、爆発事故により沈没。原因は諸説あるが掃海漏れ機雷とされた。
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