弾薬掠奪事件と西南戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 13:42 UTC 版)
廃藩置県後、不平士族による反乱が多発しており、これをみた明治政府は1877年(明治10年)の1月から2月にかけて草牟田にあった大日本帝国陸軍の草牟田火薬庫(陸軍省砲兵属廠)に収納されていた火薬類の積み出しを始めた。私学校の生徒らは火薬類の積み出しを私学校撲滅策であるとして、火薬庫を襲撃し小銃や弾薬などを略奪した(弾薬掠奪事件)。この事件をきっかけに西郷隆盛を盟主とする士族らによる武力反乱である西南戦争が勃発した。 西南戦争では草牟田の山は砲撃により山形が変化するほどの激戦地となった。西南戦争終戦後、鹿児島県は臨時の監獄を草牟田に設置した。
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