弥勒寺東遺跡とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 弥勒寺東遺跡の意味・解説 

弥勒寺官衙遺跡

(弥勒寺東遺跡 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/19 22:22 UTC 版)

弥勒寺官衙遺跡
弥勒寺官衙遺跡と弥勒寺(奥)
種類 古代官衙・寺院。弥勒寺官衙遺跡群の1つ。
所在地 岐阜県関市池尻
座標 北緯35度30分20秒 東経136度53分37秒 / 北緯35.50556度 東経136.89356度 / 35.50556; 136.89356座標: 北緯35度30分20秒 東経136度53分37秒 / 北緯35.50556度 東経136.89356度 / 35.50556; 136.89356
弥勒寺
官衙遺跡
位置図

弥勒寺官衙遺跡(みろくじかんがいせき)または弥勒寺東遺跡(みろくじひがしいせき)は[注釈 1]岐阜県関市池尻に所在する古代官衙関連遺跡である。当地から美濃市大矢田にまたがる国の史跡弥勒寺官衙遺跡群(みろくじかんがいせきぐん)の構成遺跡の1つ(指定名称は「弥勒寺官衙遺跡」)として史跡指定されている[1]

概要

律令制下の古代武儀郡衙(郡の役所)の遺構である。1994年平成2年)に発掘調査が開始され、以後8次にわたり調査が行われ2007年(平成19年)に国の史跡に指定された。

文献に言及されている郡衙の施設(郡庁院、正倉院、館(たち)、厨家(くりや)など)が、全て把握可能な全国的に類例の少ない遺跡であり、隣接する古代寺院の弥勒寺が建立された7世紀後半から郡衙が存在した奈良時代初頭から平安時代中期、さらに中世の遺構が重なる複合遺跡でもある[注釈 2]

史跡指定

この一帯には弥勒寺跡弥勒寺西遺跡池尻大塚古墳・丸山古窯(美濃市大矢田)があり、弥勒寺遺跡群として発掘調査が継続されている。

1959年(昭和34年)に弥勒寺跡と丸山古窯が「弥勒寺跡 附:丸山古窯跡」として国の史跡に指定された。

2007年(平成19年)には、当遺跡(弥勒寺官衙遺跡)を追加指定して、指定名称を「弥勒寺官衙遺跡群 弥勒寺官衙遺跡 弥勒寺跡 丸山古窯跡」と改めた[1]。さらに2016年(平成28年)には、池尻大塚古墳が構成史跡に追加指定され「弥勒寺官衙遺跡群 弥勒寺官衙遺跡 弥勒寺跡 丸山古窯跡 池尻大塚古墳」と改称された[1][注釈 3]

遺構

  • 正倉院
    東西約130メートル×南北約40メートルの範囲が細長い溝で区画され、8棟の正倉を確認。
  • 郡庁院
    東西約50メートル×南北約60メートルの掘立柱塀で囲まれ、正殿と東西の脇殿を「品」字形に配置する建物群。この遺跡が発見される前は国府政庁でしかこの配置は確認されておらず郡衙の常識を覆す発見であった。
  • 豪族居宅
  • 評衙

遺物

円面硯など出土した遺物の一部は関市円空館の常設コーナーにて展示されている。

脚注

注釈

  1. ^ 弥勒寺跡の東側に隣接することからこのように呼ばれる。
  2. ^ 実務官衙や寺院などの諸施設が同時併存して有機的に機能しているのが考古学的調査で確認された遺跡は、当遺跡群以外の事例では埼玉県深谷市熊谷市幡羅官衙遺跡群が知られる[2]
  3. ^ 弥勒寺西遺跡関市円空館所在地)は史跡未指定である[1]

出典

  1. ^ a b c d 弥勒寺官衙遺跡群 岐阜県関市
  2. ^ 熊谷市立江南文化財センター. “幡羅官衙遺跡群(西別府祭祀遺跡ほか関連遺跡群)について”. 熊谷市. 2023年4月16日閲覧。

参考文献

関連項目

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「弥勒寺東遺跡」の関連用語

弥勒寺東遺跡のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



弥勒寺東遺跡のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの弥勒寺官衙遺跡 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS