引退の撤回と第22回衆議院議員総選挙とは? わかりやすく解説

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引退の撤回と第22回衆議院議員総選挙

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 14:48 UTC 版)

三木武夫」の記事における「引退の撤回と第22回衆議院議員総選挙」の解説

8月15日終戦後三木政治家として戦争責任を負うべきと考え議員辞職して食料品店もやろうかと睦子持ちかけた。しかし睦子これから米国やって来るので、米国のことを良く知る三木が必要とされると言い議員辞職反対した。結局三木議員続けかどうか次の選挙決めこととし、もし落選した今後選挙には出ないこと、そして選挙終了後まで政党入らないことを決意した三木ところには、森家の縁で千石興太郎から日本協同党に、鳩山一郎から日本自由党それぞれ誘われたが、三木断った9月には三木家族疎開先の秩父から東京へ戻った東京戻った三木一家は、まず雑司が谷にあった共産党研修所のような建物落ち着いた研修所として用いられていた建物らしく、狭い部屋いくつもある集合住宅のようなであったが、ほどなく三木家族以外にも居候住みつくようになり、20人前後の人々出入りする大所帯になり、睦子戦後食糧難の中、食糧確保走り回ることになる。 1946年昭和21年)の第22回衆議院議員総選挙立候補するためには、GHQから立候補資格確認書交付が必要とされた。三木翼賛選挙では翼協推薦であり、この点では立候補資格問題無かったが、翼賛政治会幹事理事や、軍需省参与官務めた経歴から資格認められない可能性もあった。三木GHQ戦前日米友好尽くしたことをアピールするなど確認書交付向けて尽力した。しかし三木確認書交付遅れてしまい、陣営あきらめムードも漂うようになった選挙戦開始後、ようやく交付された。 第22回衆議院議員総選挙婦人参政権認められ男女普通選挙となった選挙区基本的に全県一区の大選挙区制行われ徳島県全県一区、定数5に対して30名が立候補した前述立候補確認書交付遅れてしまったために選挙戦出遅れ、更にこれまで選挙区であった県南部も回らなければならなかった。しかし三木婦人参政権認められた初の選挙らしく、明大女子専門部学生4名を応援演説駆り出すといった作戦実行し東京から徳島自動車持ち込み自動車行けない場所は自転車に幟を立てて選挙区中を回った。この選挙三木民主政治確立教育刷新食糧問題解決などを訴えとともに足かけ10年国会議員経験加えて欧米訪問米国留学体験がある国際派であり、それらの体験国政生かせ人物であるとアピールした4月10日行われた投票の結果三木トップ当選果たした

※この「引退の撤回と第22回衆議院議員総選挙」の解説は、「三木武夫」の解説の一部です。
「引退の撤回と第22回衆議院議員総選挙」を含む「三木武夫」の記事については、「三木武夫」の概要を参照ください。

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