弊害と対策
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/15 01:24 UTC 版)
初期の駆除例としては、1890年頃、ルイジアナ州の材木業が機械的な駆除を試みているが、ピッチフォーク突き刺して河岸にすくい上げるという方法だった。 ホテイアオイの密生は、河川に閉塞しボートや貨物船の交通の便をさまたげ、魚類が死滅するなどの害を及ぼす。ルイジアナ州でも、それらの弊害をもたらし、19世紀末か20世紀初頭には顕著な問題と化していた。 1890年頃に侵入が始まったフロリダ州では、やがて推定50 kg/m2の面積の水路を覆いつくしたといわれる。そしてセントジョンズ川の閉塞など事態の深刻化に至り、1897年、中央政府から軍部工兵(アメリカ陸軍工兵司令部)の対策班が募られ、フロリダ・ルイジアナなどメキシコ湾岸各州に派遣されてホテイアオイ駆除に当たるはこびとなった。 こうして20世紀初頭、米国旧陸軍省(工兵司令部)が駆除実験をおこない、蒸気・熱湯放出、塩酸・硫酸・石炭酸(フェノール)散布、および石油散布と放火による手段が試されたが、満足な結果は得られず、塩分は効果的だったがコスト高とされ、結局 Harvesta という会社が開発したヒ酸を主成分とする除草剤に白羽の矢をたてる始末だった。 1910年、当時社会問題となっていた食肉不足とこのホテイアオイ問題を一挙に解決しようという法案がだされた。起案者はルイジアナ州選出議員のロバート・F・ブルサード(英語版)で、発案や推進にはアフリカに詳しい探検家のフリッツ・デュケイン や、南アメリカの軍人フレデリック・ラッセル・バーナム(英語版) が関与していた。アフリカからカバを移入して大規模牧場をつくり、その動物にホテイアオイを食べさせ、肉を食肉市場に出そうという法案で、米国議会の可決まであと一票で廃案になった。結局、南部は沼沢地を干拓し、牧草地化して肉牛を飼育することで、食肉不足を解消することとなった。 ルイジアナ州では N. eichorniae 種のゾウムシが、ホテイアオイの増殖のけん制に相当効果的であった。個体の全長、重量、根の長さが衰え、子株の生産の減少もみられた。フロリダ州でも、Neochetina属2種のや、ツトガ科Niphograpta albiguttalisの幼虫が1970年代に導入されたが、追跡調査では野外でN. eichorniae 種ゾウムシの生存が主に確認されておりガの痕跡はなかった。そしてバイオマス半減や、開花(種子)の98%減など一定の効果が見られたと評価された。しかし表面積の減少でみると16.8%減にとどまるため、生物防除への全面的な政策方針転換を政府機関にうながすには至っていないと指摘される。
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