建造物・史跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 09:19 UTC 版)
和泉黄金塚古墳(和泉市)…当地域の南東に間近に位置する国史跡。邪馬台国のころの中国王朝、魏の景初3年の年号入りの銅鏡が出土している。 旧富木村の史跡 富木車塚古墳…かつて存在した車塚古墳だが、現在は立札があるのみ。全長45メートル、高さ5メートルの前方後円墳で、1959年の大阪市立美術館と高石町の共同調査により横穴式石室のほか6か所から木棺と副葬品が出土した。埋葬されていたのは十数人とみられ、この地域を根拠地とした古代氏族の殿来連(むらじ)との関連がいわれている。1962年4月-5月ころ、宅地造成のため破壊された。 等乃伎神社…延喜式内社(小社)。主神は、天児屋根命で、他に壺大神・菅原道真・大歳大神。社殿は、1987年(昭和62年)に改築された。例大祭は、10月5日。 楷定寺…山号は古今山。浄土真宗本願寺派。江戸時代中期の元文年間(1736-40年)に創建。本堂は、1813年(文化10年)のもの。本尊は、阿弥陀如来立像。境内に、土井忠兵衛の墓がある(法要は1月9日)。 旧大園村の史跡 善称寺…浄土真宗本願寺派。本堂は、1996年改修の入母屋造り。本尊は、阿弥陀如来像。境内に、親鸞の幼児像がある。 旧市場村の史跡 綾井城…鎌倉〜室町時代、地域の豪族の沼(沼間)氏の居城だった。現在の専称寺の位置にあり、今も堀が残る。戦国時代、当主の沼間日向守任世は、織田信長に従い石山合戦に参加。しかし1576年(天正4年)戦死し、滅亡した。 専称寺…山号は城蹟山。浄土宗。1593年(文禄2年)城跡に、助松(現泉大津市)から移転。本尊は、阿弥陀如来像。境内に、鐘楼がある。
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