廃車・引退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/21 16:12 UTC 版)
震災被災の3109を除いた廃車は、1996年12月の3100系3156Fの4両が最初となった。この編成は能勢電鉄へ譲渡され大幅な改造を受けて車両番号も変更された。皮肉にもこの移籍により阪急内の3000系や3100系がすべて引退する中、最後まで現役で運行される車両となった。 1998年の甲陽線・今津南線ワンマン化により、3161Fの3両(3161-3609-3111)は神戸線所属のまま平井車庫に疎開留置されていたが、2000年1月18日付けで廃車となった。 本格的な廃車は2007年より開始され、非表示幕車と短編成化により余剰となった中間車(2000系・2071系を含む)から優先して廃車が進められた。 9000系の増備に伴い、2007年には神戸本線の3056Fが今津線へ転属した。2代目3022を組み込んだ3072Fは、3056Fより脱車の2055・2080とともに2008年3月25日付で廃車となった。その後も9000系による置き換えが進み、2011年2月に3078Fが6両に減車され、今津(北)線に転属した。2011年3月には3068Fが、翌4月には3070Fが2075・2184・2085・6600とともに廃車となった。 今津(北)線最後の行先表示幕未設置車で映画「阪急電車」のロケにも使用された3058Fは、2011年9月10日に運用を離脱し、23日に正雀工場に回送された。 2012年2月21日に3074Fが4両に減車され、箕面線に転属した。翌22日には余剰となった3158Fが正雀工場に回送された。 2013年1月18日には、神戸本線最後の8両編成3054Fが4両に減車され、伊丹線に転属した。翌19日に3159Fが正雀工場に回送された。 2013年6月、3066Fが4両に減車され箕面線に転属、3080Fが正雀工場に回送された。 2014年1月には今津(北)線の3050Fが伊丹線に転属、翌2月には阪急最後の行先表示幕未設置車であった3077Fが正雀工場に回送された。これにより、日本の大手私鉄から行先方向板車両が消滅となり、全て幕式またはLED式に統一された。 2014年6月、1000系の増備に伴って方向幕車の廃車も開始された。宝塚本線最後の3064Fが廃車となり、8両編成の3000系も消滅したさらに、8月には今津(北)線の3076Fが正雀工場へ回送された。 2015年度は廃車はなかったものの、2016年以降、1000系の増備による本線からの5000系・5100系・6000系・7000系の転入により、各支線に残る車両の置き換えが本格化した。同年6月に今津線の3154F、7月に今津線の3152Fと箕面線の3066F・3074F、8月には伊丹線の3150F、箕面線の3060Fが相次いで消滅した。3100系は3052Fに組み込みの3651号の1両を残すのみとなり、伊丹線の3100系3150Fには6月から7月にかけて引退記念ヘッドマークが掲出された。 2017年6月上旬、今津(北)線の3078Fが、10月5日には3082Fが正雀工場に回送された。 2018年1月24日、伊丹線の3050Fが、4月11日には今津(北)線最後の3056Fが、7月21日には伊丹線の3052Fが正雀工場に回送された。3052Fには3100系最後の3651号が組み込まれていたため、この廃車をもって3100系は形式消滅となった。 2019年1月31日の時点では、伊丹線用の3054F・3062Fの4両編成2本8両を残すのみとなったが、2019年3月には3062Fが正雀工場から廃車陸送された。 阪急最後の編成となっていた伊丹線用の3054Fは2020年2月下旬に運用を終了した。これにより3000系は全車両が引退となった。そして5月7日に正雀工場へ廃車回送、6月18日・19日にリサイクル工場へ陸送で搬出、6月25日付けで廃車となり形式消滅した。 2020年10月14日に阪急電鉄から発売された3000系の惜別グッズには、引退記念ヘッドマークがあしらわれた。引退記念ヘッドマークを掲出した状態でのイベントも企画されていたが、新型コロナウイルス感染拡大の影響で中止となった。 廃車後は能勢電鉄に譲渡した3156Fも含めて全車両解体され、保存車は存在しないが、2014年に廃車になったトップナンバーの3000・3100の貫通扉が正雀工場内の阪急ミュージアムで保存されている。
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