広滝発電所建設とは? わかりやすく解説

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広滝発電所建設

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 15:45 UTC 版)

広滝水力電気」の記事における「広滝発電所建設」の解説

広滝水力電気城原川着工した広滝発電所出力500キロワット発電機を2台設置する設計であり、1907年中の竣工目指されていたが、予定通り工事進まず1908年入って工事続けられた。工事中1908年1月本店佐賀市大字唐人町144・145番地へと移転電灯取付工事完了後にようやく発電所竣工し同年10月1日期して広滝水力電気営業開始した電源広滝発電所総出力1,000キロワット完成当時九州では最大発電所であった発電所とともに佐賀神埼諸富の3か所に変電所建設され発電所起点に各変電所まで送電電圧11キロボルトの送電線架設するという送電体制整備されている。3変電所のうち佐賀変電所発電所完成とともにまず竣工し佐賀への送電始まり次いで1908年11月神埼変電所12月には諸富変電所完成をみた。このうち諸富発電所からは県境越えた福岡県筑後地方大川方面にも配電された。 博多電灯との合併という形をとった福岡進出失敗した広滝水力電気では「三市電」のもう一つ目標であった久留米への進出図っており。筑後川を渡る久留米送電線久留米変電所1909年明治42年6月完成させた。同年秋からは同地電気事業者久留米電灯1907年6月開業)への電力供給始め筑後地方への本格進出を果たす。経営面では同年3月には倍額増資決議したほか、翌1910年明治43年7月30日付で佐賀県唐津唐津電気合併同社資本金10万円を加えて資本金70万円とした。 1908年10月開業当初供給実績電灯数8247灯と小規模であったが、翌年には1万6388灯へ倍増し1910年には2万2129灯に達した動力用電力の供給実績開業以来順調に伸びて1910年797馬力となった電力利用谷口鉄工場佐賀器械製造所厚生舎(綿織物製造)・佐賀セメントなどが従来蒸気機関代えて電動機導入し、そのさきがけとなったこうした供給の拡大は、供給区域の拡大以外にも低廉電気料金支えられていた。広滝水力電気電気料金は、終夜10燭灯を例にとると月額80銭であり、博多電灯1円40銭、長崎電灯1円20銭など、周辺火力発電による事業者比べて明確に安価であった供給実績伸長伴って業績上昇し1909年上期初めての配当実施したのを皮切りに1910年上期には配当率年率10パーセントとなっている。

※この「広滝発電所建設」の解説は、「広滝水力電気」の解説の一部です。
「広滝発電所建設」を含む「広滝水力電気」の記事については、「広滝水力電気」の概要を参照ください。

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