年金資産の運用
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/31 15:25 UTC 版)
投資一任業務の解禁は、将来の年金資産の運用を前提とするものでもあり、まず私的年金、次いで公的年金の資産の運用への途が投資一任会社に開かれた。 (私的年金) 1954年厚生年金保険法(1954年法律115号)により厚生年金(公的年金のいわゆる2階部分。被用者むけ)が制度化され、さらに1965年6月の法改正(1965年法律104号)により、厚生年金基金と厚生年金基金連合会に関する条文が追加されて、企業年金(年金制度のいわゆる3階部分)が制度化された。 その積立金の運用方法は、当初、「信託又は保険の契約による」とされていたが、「運用受託機関の間に競争原理を導入し運用効率の向上を図る」ため、1989年12月の法改正(1989年法律86号)により、翌1990年4月から、要件を満たした認定厚生年金基金については、信託銀行と特定金銭信託契約を締結する前提で、「投資一任契約」によることも許された。ただし、解禁当初、その対象は、「ニューマネー」に限られ、契約資産額を10億円以上とするほか、安全性の高い資産への投資の確保などの条件が付された。 (公的年金) 1961年・年金福祉事業団法(1961年法律180号)により、特殊法人「年金福祉事業団」が設置された。その業務は、年金福祉施設の設置・運営とその設置・整備資金の貸付けとされたが、その後、財政投融資制度改革の一環として、また、資金運用部預託金利の引き下げを背景として郵貯・年金の自主運用を認める機運が高まった。年金福祉事業団については、1986年4月の法改正(1986年法律21号)により「年金資金確保事業」として、さらに1987年6月の法改正(1987年法律59号)により「年金財源強化事業」として、特別会計から資金運用部に預託した後、資金運用部から融資を受けて運用を行うことが許された。その方法は、①公共債の取得、②預貯金、③金銭信託、とされた。うち「公共債の取得」(=自家運用部分)については、投資助言業務の対象となったが、「金銭信託」(=運用委託部分)については、「運用方法を特定するものを除く」という条件が付されたため、投資一任業務の対象とならなかった。 1995年2月に金融サービス分野における日米包括経済協議が最終合意に至り、そこで年金福祉事業団の資金運用むけの投資一任会社のアクセスを「1995年度中」に開放することとされた。期限内に開放するため、法改正を避けて、リミテッド・パートナーシップ指定単スキームが考案された。なお、年金福祉事業団はその後、2000年3月の法改正(2000年法律19号)により、2001年4月から「年金資金運用基金」となり、さらに2004年6月の法改正(2004年法律105号)により、2006年4月から「年金積立金管理運用独立行政法人」(GPIF)となって現在に至っている。
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