平和のための徴兵制
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 14:49 UTC 版)
処女作『シビリアンの戦争』では、文民が軍人の反対を押し切って行う攻撃的な戦争が近現代の民主主義国に多数みられることを指摘し、軍人が暴走し市民は平和的であるという前提は必ずしもあたらないとした。そこで『文藝春秋SPECIAL』での記事や著書『21世紀の戦争と平和』では「平和のための徴兵制」を導入することを提案している。なお、日本では左派からの反発が大きいが、命の平等を尊重するための徴兵制はアメリカやフランスではリベラルな政党や戦争経験者の黒人議員などが提唱している政策であり、敬して遠ざけられることはあってもタカ派だと思われることは一切ないとしている。第二次世界大戦後、アメリカ、イギリス、フランスなどの豊かな民主国家が起こしてきた主要な戦争のほとんどが、「血を流す兵士と異なりコストを意識しにくいは政権と国民が民主的に選んだ戦争」であり、それに対する処方箋は、「血のコスト」を一般市民にも平等に負担させることで正義感や感情論に基づく安易な開戦を踏みとどまらせることである、としている。 先進国の政権が民意に支持されて、自分たちより力の劣る国に対し軍事介入を決断する場合、核抑止や国際法だけでは防げないことを歴史は示している。核抑止は核保有国間の戦争を封じることにしか繋がっておらず、主権国家が欲すれば、国際法は自国に有利なように運用解釈することで事実上回避できてしまう。こうした第二次世界大戦後に頻発している小中規模の戦争の抑止が現在取り組まなければいけない平和への課題であり、そのような戦争を防ぐためには軍が暴走しないようにシビリアンコントロールすることよりも、実は血のコストを忘れ、時に好戦的になるシビリアン自体をコントロールすることの方が重要である、としている。実際に民主化以降も徴兵制を導入しているイスラエルや韓国では、突発的に戦争が起きれば自らの命や家族の命が危険に晒されることから、国民が常に戦争に対してリアルや責任を感じており、戦争や敵国に対して非常に抑制的であるとしている。自ら戦争に行くことのない国民が志願兵の派遣を判断していては戦争のコストは国民には実感されず、結果としてイラク戦争のような現場で血を流している軍事関係者の反対を押し切った安易な戦争が繰り返されてしまうと主張している。 三浦が著書で提唱しているのは、5歳から75歳未満までの市民に災害対応を想定した義務的訓練を年に1回持ち回りで実施するという案である。これが5歳区切りで招集されれば、5年に1度、自分の番が回ってくることになる。訓練に参加した者には適切な経済的対価を支払い、健康その他の事情によって猶予や免除は認めるべきであるとしている。これは災害への備えとして役立つとともに、ある種の徴兵的な役割を持っているとしている。なお、自分の子供は徴兵させないのではないかというネットの言説については「事実ではありません」と否定している。 一方で、戦争をするための目的で徴兵制を導入することには反対であり、平和安全法制の議論で民主党から徴兵制の可能性を示唆するパンフレットが作られたことに対して「悲しかった」と述べている。
※この「平和のための徴兵制」の解説は、「三浦瑠麗」の解説の一部です。
「平和のための徴兵制」を含む「三浦瑠麗」の記事については、「三浦瑠麗」の概要を参照ください。
- 平和のための徴兵制のページへのリンク