巡洋艦分遣隊の創設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/05/22 07:29 UTC 版)
「ゲネラール=アドミラール級装甲巡洋艦」の記事における「巡洋艦分遣隊の創設」の解説
その頃、ロシアの巡洋艦戦力は資材不足で修理もできないまま停滞していた。クリミア戦争中、満足にスクリューフリゲートを投入できなかったロシア帝国海軍は外輪型の蒸気フリゲート(ロシア語版)とスクリューコルベットを巡洋艦戦力の主力として戦争を乗り切ったが、コルベットは小型に過ぎ、外輪巡洋艦の時代もクリミア戦争の敗戦とともにとうに過ぎ去っていた。戦後ようやくスクリューフリゲートの建造が本格化したが、それらはイギリスやフランスの巡洋艦に劣っていた。幾度となく新型艦の建造が検討されたが実現せず、その戦力は木造船体のスクリュー艦隊を抜け出すことができていなかった。また、諸外国が新しい巡洋艦を整備する中で、それら旧式艦の寿命も尽きようとしていた。そこにさらに深刻な状況を作り出したのが、日本の開国であった。 日本における鎖国の終焉は、極東に領土を持つロシア帝国にとって危険なライバルの登場を意味していた。ロシア帝国は、太平洋方面にある艦隊の増強を迫られた。1860年代末、海軍元帥(ロシア語版)にして海軍省長官である N・K・クラッベ(ロシア語版)海軍大将はバルト海防衛用艦隊の創設は解決済みであると判定、木造蒸気巡洋艦が老朽化していることと、極東と地中海での海軍プレゼンスの要求に対し、巡洋艦戦力を優先的に拡張すべきであるという決定を下した。 これに伴い、海軍省は 4 つの巡洋艦分遣隊の創設を決定した。隊はそれぞれ、コルベット 1 隻とクリッパー 2 隻から構成されることになった。当時、太平洋方面には艦隊が永年常駐できる設備がなく、艦船の整備のために艦隊はバルト海とのあいだを行き来しなければならなかった。そのため、同じ種類の艦隊を 4 つ保有する必要があった。つまり、太平洋でひとつの分遣隊が 3 年間の軍務に就くあいだ、もうひとつの隊はクロンシュタットで修理(ロシア語版)を受け、残りの 2 隊は片やバルト海へ、片や太平洋へ向かう途上にある、というわけである。 計画では、従来の「ヴァリャーク」級の木造コルベットを新しい装甲コルベット、すなわち装甲巡洋艦隊で置き換えることとなった。バルト海向けに整備されていた「ピョートル・ヴェリーキー」級の大型装甲艦と沿岸防衛装甲艦の建造は中断され、限られた資材を大洋巡洋艦と 8 隻の「クレーイセル」級クリッパーの建造に充てることとなった。
※この「巡洋艦分遣隊の創設」の解説は、「ゲネラール=アドミラール級装甲巡洋艦」の解説の一部です。
「巡洋艦分遣隊の創設」を含む「ゲネラール=アドミラール級装甲巡洋艦」の記事については、「ゲネラール=アドミラール級装甲巡洋艦」の概要を参照ください。
- 巡洋艦分遣隊の創設のページへのリンク