巡潜1型
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/21 11:11 UTC 版)
第一次大戦以前の潜水艦は艦形も小さく、大洋の航海には適さない沿岸型の潜水艦であった。それに対しドイツは通商破壊戦のため水上速力の向上と長大な航続力を持ち、外洋航行能力のある大型の潜水艦が必要とされ、計画された。この大型潜水艦は巡洋潜水艦(略して巡潜)と類別されるようになる。 第一次大戦が終結した時、当時世界最高だったドイツの潜水艦技術を各国は競って取り入れた。潜水艦を艦隊決戦の補助艦艇と位置づけていた日本海軍は当時最大最新の巡潜として計画されたU142型の図面入手を図った。これには訪独した川崎造船所(のちの川崎重工業)の松方社長の努力により実現したと言われている。川崎造船所はまた、ドイツから潜水艦技術者を招いて指導を仰ぎ、技術の習得に努めている。 1923年(大正12年)度の艦艇建造新計画で建造された4隻の潜水艦はほぼドイツのU142型のコピーである(兵装だけは日本のものに改められている)。日本の大型潜水艦はまだ海大型の伊51の1隻が建造中なだけであり、当時の日本の造船技術としては仕方のないことだった。伊1から伊3までの3隻は1926年(大正15年)に竣工し、やや遅れて建造された伊4は冷却機を装備するなど設計を若干改め1929年(昭和4年)の竣工となった。
※この「巡潜1型」の解説は、「伊一型潜水艦」の解説の一部です。
「巡潜1型」を含む「伊一型潜水艦」の記事については、「伊一型潜水艦」の概要を参照ください。
- 巡潜1型のページへのリンク