山田隆 (海軍軍人)
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山田 隆(やまだ たかし、1899年(明治32年)10月1日 - 1944年(昭和19年)6月11日[1])は、日本の海軍軍人。「伊20」潜水艦長として、真珠湾攻撃、ディエゴスワレス攻撃で、甲標的搭載艦を指揮。真珠湾攻撃では広尾彰、片山義雄、ディエゴスワレス攻撃では秋枝三郎、竹本正巳が山田の元から出撃した。商船攻撃においては8隻を撃沈、1隻を撃破する戦果を挙げ、あ号作戦に関連した作戦行動で第34潜水隊司令として戦死。最終階級は海軍少将。
- ^ 予備艦時代のため『艦長たちの軍艦史』にはこの履歴は掲載されていない。
- ^ 友永英夫参照。
- ^ 昭和天皇の誕生日であった4月29日を出港日としていたが、準備の関係で30日となった。
- ^ 『たゆみなき進撃』の個々の撃沈を合計すると6隻となるが、同書の今和泉の報告は5隻となっている。
- ^ 『艦長たちの軍艦史』では8隻の撃沈となっている。
- ^ 軍令部はインド洋方面での第八潜水戦隊による交通破壊戦を重視していたが、連合艦隊司令部の意向で、一個潜水隊を除き、ガダルカナル方面に集中された。連合艦隊司令部の敵艦隊重視が現われた例である。
- ^ 潜水艦の戦没状況は不明なことが多く、連絡が途絶えてから1月経過後に戦死認定が行われていたため、公式の戦死認定日と実際の戦死日は異なっている場合がある。
- ^ a b c 『日本潜水艦戦史』251頁
- ^ 『決戦特殊潜航艇』39頁
- ^ 『海軍兵学校沿革』
- ^ 『日本海軍史 第十巻』「山田隆」
- ^ 『艦長たちの軍艦史』
- ^ 池田清『日本の海軍 (下)』朝日ソノラマ、185頁。
- ^ 『艦長たちの軍艦史』427頁
- ^ 『決戦特殊潜航艇』35頁
- ^ 『特殊潜航艇』42頁
- ^ 『決戦特殊潜航艇』105頁
- ^ 『本当の特殊潜航艇の戦い』90頁
- ^ 『特殊潜航艇』42-47頁
- ^ a b 『本当の特殊潜航艇の戦い』99頁
- ^ 『本当の特殊潜航艇の戦い』120頁
- ^ 『決戦特殊潜航艇』84-89頁
- ^ 『日本潜水艦戦史』62-63頁
- ^ 『たゆみなき進撃』97頁
- ^ 『決戦特殊潜航艇』211頁
- ^ 『日本潜水艦戦史』73頁
- ^ 『特殊潜航艇』264頁
- ^ 『たゆみなき進撃』98頁
- ^ 『たゆみなき進撃』110-111頁
- ^ 『決戦特殊潜航艇』215-216頁
- ^ 『たゆみなき進撃』120-144頁
- ^ 『決戦特殊潜航艇』227頁
- ^ 『特殊潜航艇戦史』247-260頁
- ^ 『たゆみなき進撃』150頁
- ^ 『特殊潜航艇戦史』280頁
- ^ 『本当の特殊潜航艇の戦い』134頁
- ^ 『たゆみなき進撃』156-158頁
- ^ 『たゆみなき進撃』171頁
- ^ 『日本潜水艦戦史』87-88頁
- ^ 『日本潜水艦戦史』88頁
- ^ 福井静夫作成「あ号作戦当時主要潜水艦要目」
- ^ 『日本潜水艦戦史』115頁
- ^ 『たゆみなき進撃』263頁
- ^ 『日本潜水艦戦史』121頁
- ^ 『日本潜水艦戦史』123頁
- ^ 『日本潜水艦戦史』129頁
- ^ 『艦長たちの軍艦史』449頁
- ^ 『艦長たちの軍艦史』451-453頁
- ^ 『日本潜水艦戦史』178頁
- ^ 『日本潜水艦戦史』181頁
- ^ 『日本潜水艦戦史』185頁
- 1 山田隆 (海軍軍人)とは
- 2 山田隆 (海軍軍人)の概要
- 3 参考文献
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