展示内容についての批判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 01:55 UTC 版)
「沖縄県平和祈念資料館」の記事における「展示内容についての批判」の解説
この展示内容が、大田県政時代に進められたものだったので、大田が執筆した「鉄の暴風雨」の中で取り上げられている話が平和祈念資料館監修委員会によって盛り込まれており、また、監修委員会のメンバー13人の中で、反米軍基地運動の行っている一坪反戦地主が、琉球大学教授の宮城悦二郎、沖縄国際大学教授の石原昌家、財団法人 雇用開発推進機構 調査研究部長の宮城(旧姓:内海)恵美子、沖縄大学講師・御嶽研究者の安里英子がメンバーに連ねていた。その内容が、開館直前時、稲嶺惠一知事時代であったので、監修委員会の議題に掛けず、県庁の文化国際局に展示内容の変更を指示し、変更案では「従軍慰安婦」の慰安所の場所を示した「慰安所マップ」の展示しない方向や「皇室、国体に対する観念が徹底しておらず」などとする日本軍の対沖縄人観も削除対象方針であった。 また、沖縄戦の特徴を示す「捨て石作戦」を「持久戦」に変え、「根こそぎ動員」を「県民の動員」、「15年戦争」を「アジア・太平洋戦争」に表現の変更し、壕模型の場面を説明する「幼児の口封じを命じる兵士」「青酸カリによる自決強要」の表題も「書き換える」と大幅な内容変更した。 しかし、この文書が1999年8月11日、沖縄地元紙の記事に掲載されたため、資料館監修委員会のメンバーや日本共産党系、沖縄教職員会、自治労系、沖縄平和運動センター等の団体から猛攻撃にあった。結果同年8月27日に監修委員会は展示内容を元に戻すことを県は了承した。また、県内の左翼勢力からの攻撃に対し、新しい歴史教科書をつくる会が祖国を守るために多くの兵士が命を捧げた事実を展示要求の申入れもしている。しかし、展示内容の変更については、監修委員会が主張していた内容へ戻さざるを得なかった。後に元神奈川県鎌倉市議会議員の伊藤玲子が稲嶺にインタビューを行い、著作にて沖縄の反戦平和運動を批判した。
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