家族と学生時代まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/15 13:44 UTC 版)
「E・E・スミス」の記事における「家族と学生時代まで」の解説
1890年5月2日、ウィスコンシン州シボイガンで生まれる。両親は共に長老派教会の敬虔な信徒の家系である。母はミシガン州出身の教師で、父はメイン州出身の船員だったが英語教師になった。同年冬、ワシントン州スポケーンに幼いE・E・スミスを連れて引越し、そこで父が1900年には契約で働いていた。1902年、一家はアイダホ州クートニー郡の Seneaquoteen に引っ越した。E・E・スミスは5人兄弟の4番目だった。1910年の国勢調査によると両親と弟は当時アイダホ州ボナー郡の Markham Precinct に住んでいた。国勢調査の記録では父の職業は農夫となっている。 スミスは肉体労働者として働いていたが、19歳のとき火事から逃げる際に手首を負傷し、肉体労働が難しくなった。そこで彼はアイダホ大学に入学。1984年にはアイダホ大学同窓会の殿堂入りしている。1907年に入学し化学工学を専攻して1914年に卒業(7年かかっているのは学士号を2つ取得したため)。化学クラブ、チェスクラブ、マンドリン・ギタークラブ、ライフルチームの部長を務めた。ギルバートとサリヴァンのオペレッタの舞台で歌ったこともある。学士論文の題名は Some Clays of Idaho でクラスメートの Chester Fowler Smith と共同で執筆した。なお、そのクラスメートはバークレーで講師の職を得たが、翌年結核で亡くなっている。2人の関係はよくわかっていない。 1915年10月5日、アイダホ州ボイシで大学のルームメイトの妹だったジャンヌ・クレイグ・マクドゥーガルと結婚。因みにジャンヌの姉妹がクラリッサ・マクリーン・マクドゥーガルという名で、《レンズマン》シリーズのヒロインの名(クラリッサ・マクドゥーガル)に使われている。ジャンヌはスコットランドのグラスゴー出身で、父はバイオリン奏者だった。彼女の父は子供たちが幼いころにボイシに単身赴任し、家族がボイシに引っ越そうとしている1905年に亡くなった。ジャンヌの母は1914年に元政治家の実業家と再婚した。 スミスは3人の子をもうけた。 Roderick N. (1918-?) - ロッキード社の航空機設計技師となった。 Verna Jean (1920-1994) - 結婚後は Verna Smith Trestrail。スミスの著作権を相続した。死後はその子 Kim Trestrail が相続している。ロバート・A・ハインラインは『フライデイ』(1982) の献辞に Verna を挙げている。 Clarissa M. (1921-?) - 結婚後は Clarissa Wilcox。
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