家族と少年期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/25 13:37 UTC 版)
1888年6月5日、咸鏡南道北青郡新昌邑昇坪里で、金鼎禹を父、尹玉蓮を母として生を受けた。五男一女の末子である。本貫は金海金氏で、両班のうち武班の家柄であり、代々武官を勤めて裕福だったという。 擎天の本籍は漢城であり、少年期から漢城で育った。一族がみな武官で、擎天も軍人をめざした。書店でナポレオン伝を読み、憧れたという。父親の影響もあり、日本留学を志し、京城学堂(大日本海外教育会が経営する日本語学校)に進学した。 父の鼎禹は、1895年に日本に留学し、慶應義塾、順天求合社、東京工業学校に学び、東京砲兵工廠で銃弾など武器製造の研修を受けた。帰国後は大韓帝国軍の高官となっていて、息子を陸軍士官学校留学に送り出したのである。叔父が陸士留学経験者であり、その斡旋もあったといわれる。 1909年、擎天は日本留学の一週間前に、柳桂俊の娘・柳貞(유정、戸籍名、1892年-1971年)、通称ユ・ジョンファと結婚した。妻にピアノを習うことを勧めて、単身留学した。
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