安芸香川氏とは? わかりやすく解説

安芸香川氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/09 08:45 UTC 版)

八木 (広島市)」の記事における「安芸香川氏」の解説

承久3年1221年)、承久の乱戦功によって、経景は安芸国八木を、義景は安芸国山県郡戸谷賜わる。義景は、兄経景の長男である香川平太景光と共に一門家の子郎徒を引き連れ相模国から、八木山裾野太河突き出したような山へ城(八木城)を築いた貞応元年三月三日)。太田川守り要塞となった八木繁栄した安芸武田氏滅亡後毛利氏一門となり香川光景家臣として活躍毛利水軍一角川内水軍)も担って多くの戦に参加して功績上げた慶長5年1600年)、関ヶ原の戦い敗れた香川氏周防国移封され八木城廃城香川氏岩国吉川氏家老職となる。そこで香川正矩は『陰徳記』を記した。その次男の景継は延宝元年1673年)、宣阿として『陰徳記』の加筆・修正行い『陰徳太平記』出版するなど、「梅月堂」と称する歌人として京(京都)の徳大寺家仕えたその子孫代々徳大寺家仕え著名な歌人を輩出している。香川正経(正恒)は、現在も岩国市に残る「香川家長屋門」を建て、香川景晃文化3年1806年)、今津室の木干拓事業進め、「麻里開作」と名付け岩国海上交通物流拠点とした。また、文人歌人としての家系である香川氏らしく、国文学者歌人としても活動岩国市藤生の「巌院」には、景晃の書が遺っている。

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安芸香川氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 00:05 UTC 版)

安佐南区」の記事における「安芸香川氏」の解説

安芸香川氏は、承久3年1221年)の承久の乱戦功によって安芸国地頭職得て香川景光八木城安佐南区八木)を築いた安芸武田氏従ったが、武田氏滅亡により、毛利氏一門となって香川光景家臣として活躍毛利水軍一角川内水軍)も担って多くの戦に参加して功績上げた毛利氏防長移封以後香川氏は、岩国領吉川氏家老職務め香川正矩は『陰徳記』を記す。その次男の景継は延宝元年1673年)、宣阿として『陰徳記』の加筆・修正行い『陰徳太平記』出版するなど、歌人として京(京都)に在住するようになり、「梅月堂」と称して徳大寺家仕えたまた、その子孫代々徳大寺家仕え著名な歌人を輩出した香川正経(正恒)は、現在も岩国市に残る「香川家長屋門」を建て、香川景晃文化3年1806年)、今津室の木干拓事業進め、「麻里開作」と名付けて、岩国海上交通物流拠点とした。また、文人歌人としての家系である香川氏らしく、国文学者歌人としても活動岩国市藤生の「巌院」には、景晃の書が遺っている。

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安芸香川氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/21 02:03 UTC 版)

香川氏」の記事における「安芸香川氏」の解説

安芸香川氏は安芸国拠点とする鎌倉氏流香川氏子孫氏族である。 承久3年1221年6月14日承久の乱功績により、香川経高の子・経景は安芸国八木を、その弟・義景は安芸国山県戸谷与えられた。貞応元年1222年3月3日、義景は、兄・経景の長男である香川景光と共に相模国から安芸国移り八木山裾野太河突出したような山城八木城)を築いた。 『芸藩通志』によると、香川経高の子三郎経景は承久の乱恩賞として多く所領与えられた。経景の子のうち景光安芸国佐伯郡安佐郡八木地頭職となり、安芸国移住し八木城拠点としたとされる戦国時代初期には安芸武田氏従ったが、安芸武田氏大内氏毛利氏との戦いによって勢力衰えさせた。当時香川氏当主香川光景最後まで安芸武田氏支えたものの、家中争いにより離反して毛利氏従った。『雲州軍話』や『安西軍策』に安芸香川氏の名前が散見されるその後光景は、毛利氏家臣として活躍し毛利水軍一角川内水軍)も担い多くの戦にも参加した慶長5年1600年)の関ヶ原の戦い毛利氏防長移封されると、香川氏嫡流岩国領吉川氏家老職務めた。また安芸国残った香川氏多く存在した香川氏一族であった香川正矩は、主家の命もあり『陰徳記』を記した。その次男の景継は、延宝元年1673年)京に出て宣阿名乗り、『陰徳記』の加筆・修正行い『陰徳太平記』として出版した宣阿武士捨て歌人として京に在住するようになり、「梅月堂」と称して徳大寺家仕え歌人として生きたまた、その子孫代々徳大寺家仕え著名な歌人を輩出して明治維新迎えた吉川家家老として生きた宣阿の兄・正経正恒)は、現在も岩国に残る「香川家長屋門」を建てた幕末に近い頃、その子孫香川景晃出して藩政支え明治迎えた。 尚、香川氏本姓桓武平と肯定するには、より多く参考文献が必要となる。

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