安芸郡仁保島村・仁保村
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「仁保 (広島市)」の記事における「安芸郡仁保島村・仁保村」の解説
1889年(明治22年)、淵崎・柞木を含む仁保島および向洋の集落は町村制による安芸郡仁保島村(のち仁保村と改称)となり、淵崎に村役場が置かれた(現在の仁保四丁目)。この時期になると村から海外への移民が盛んになり、1911年時点で淵崎地区からの海外移民は728人(うち576人がハワイへの移民)にのぼった。1873年には小学校として「童蒙舎」(のち淵崎尋常小学校)、1894年に仁保島高等小学校が設立、両校は1908年統合され仁保尋常高等小学校(現在の仁保小の前身)となった。また1877年には淵崎郵便局(現在は移転し「仁保二郵便局」)が設置された。
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